某バナと土居先生が触れていたので、私も。

卒論とフットサルユニフォームの名前を捧げた私としてはジョサイア・コンドルについて沈黙を守ることは許されんだろう。

三菱一号館の復元が完成したそうです。
新建築でちょろっと見ただけで、実際見に行けるのはいつのことやらですが、色々と考えるところがあります。


まずは素直に嬉しいと思います。
ジョサイア・コンドルに注目?が集まる事。
彼の作品を実物として見る事が出来る事。
建築の「歴史」というものに(理由はどうあれ)価値が見いだされている事。

ですが、手放しで喜べない側面もあります。
これは土居先生のブログで読んだのですが、三菱一号館という文化的な側面を盾に、その裏で超高層ビルという経済的な開発を推し進めるというやり方です。

それが悪いとは思わないけれども、なんか巧妙というか、老獪というか。

また、それが三菱一号館という誰にとっても分かりやすい明治建築であるから余計にそう思います。ウォートルスの建築だったら渋いのに。

東京駅も復原工事が進んでいます。
現在は2階建てですが、これを3階建てに復原し、当時のドームも再建。
もちろんこれだけで済むはずがなく、ホテルやらなんやらが駅の中に入る予定です。オリジナルの基礎は撤去され、150台もの免振装置が埋められます。

東京中央郵便局は文化的な担保としてすら扱われずに取り壊されそうになりました。なんとか鳩山さんの言葉で止まりましたが、郵政の人たちの考えは今でも変わっていないでしょう。

丸の内ではこのように、三菱一号館、東京駅、東京中央郵便局がなにかしら現代社会に巻き込まれ、様々な局面を迎えています。

かつて取り壊されたものが復原されるケース、オリジナルの形に復元するケース、そしてこれまで保存されてきたものを取り壊そうとしたケース。

結局、経済社会にとって歴史ってなんだろうと思う訳です。
その場その場の文化的建前で利用される便利なツールなのか。
本当にその場に力をもたらす、経済を凌駕する存在なのか。

東京中央郵便局がもし三菱一号館のような誰の目にも明らかな古典建築だったとしたら、あんな扱いは受けなかっただろうと思うと、ますます分からなくなります。
現代人の目から見て、目新しく見えるものがたまたま古ければ歴史性という衣装を着せられ、真に歴史的なものであっても目新しさがなければその歴史性は無視されるのか。

うーむ・・・・考えがまとまらない・・・