片山東熊設計の赤坂離宮(迎賓館)がこの度国宝に指定されたそうです。
近代以降の建築としては初めてで、なるほど赤坂離宮かという気もします。

それは明治以降、日本が熱心に取り入れてきた西洋化の象徴としてみなされているからです。

ジョサイア・コンドルが直接指導した工部大学校の学生である、
辰野金吾、曽禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎らが第1世代と呼ばれています。
第1世代の役割は西洋に通用する西洋建築を日本人の手で作る事。

その第1世代の達した西洋建築の頂点ともいえるのがあの赤坂離宮なのです。
トコトンクラシックを貫いたこれでもかってなぐらい真っ当な古典様式。
平面形式も古典的で、左右のウイングを張り出し、正面にはオーダーの列柱、カーブする車寄せ。
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年に1回一般公開しているので見にいきたいのです。
赤坂離宮は明治42年の設計であり、時代的にも建築的にも明治建築の終焉と限界を示しています。
つまり、西洋の古典建築というカテゴリーにおいては日本は彼らに追いついてしまったのです。

この先の建築は西洋でも模索中であり答えがなく、日本は日本独自の道を歩むことを余儀なくされます。

そこで第2世代と言われる人々はより根源的な「建築とは何か」という問題に直面します。
時代は大正です。大正デモクラシーが叫ばれる政治的混乱の中、建築も変化してゆきます。
第2世代に入るのが挙げればキリがないですが、武田五一、岡田信一郎、下田菊太郎、後藤慶二、伊東忠太、山田守らが入るでしょうか?

なにかと話題の中村鎮も丁度このあたりの世代ですね。彼も独自の建築を模索していたようですから。
堀口捨己も入れていいんでしょうかね。分離派は重要なエポックですので。

彼らに共通なのは西洋的でない新しい建築のスタイルを見出そうとしていた事。
まさに近代建築ですね。とはいえ、100年前から同じ問題に直面している西洋からの影響は避けられないので、アール・ヌーボーや表現主義やらは日本的に咀嚼され、吸収されていきます。
個人的にはこの時代が建築史として一番好きです。

下田はクラシック路線に乗りながらもアメリカから持ち帰った最新のコンクリート技術や合理的な思想を取り入れようとしたし、後藤は建築は外的要因からではなく自分自身の「内より生ずる」ものとして捉えようとした、伊東は建築の源流にまで遡り、日本建築と西洋建築を結び付けた。
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下田が設計した現存する唯一の建築 香港上海銀行長崎支店

ここら辺は当然第1世代の人間からすれば奇妙なものに映ったようですね。
学習成果の到達点としての赤坂離宮と、第1世代と第2世代を分かつものとしての赤坂離宮。
国宝に指定されたのは妥当だと思います。

ちなみに国宝は重要文化財より上のランクと思っていらっしゃる方が多いようですが、そうではありません。分類上は両者とも重要文化財です。
これを上手く例える方法を昨日思いつきました。

それがキャプテン翼に登場するゴールキーパー若林源三です。
超高校級の実力を備え、SGGK(スーパーグレートゴールキーパー)の異名をとるあの彼です。
そんな彼も高校生なんですね。超高校級と言えど。

国宝も超重要文化財級という事で、法律上の括りとしては重要文化財です。
重要文化財の中でも特に優れたものを国宝と呼ぶそうです。

今回重文に指定されたものには、志免町の竪坑櫓があります。
あれも独特の存在感があってかっこいいですね。
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