暁英 贋説・鹿鳴館
暁英 贋説・鹿鳴館
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以前、このブログで見知らぬ方より紹介いただいた一冊。ずっと気になっていたので遂に読んで見ました。

あらすじ
「明治の開国以来の西洋化の象徴とも言える鹿鳴館。そのデザインは西洋風とも和風とも言えないデザインで、西洋人にはバカにされ、日本政府からも不満が大きかった。その設計を行ったのはイギリス建築界の若きホープであったお雇い外国人ジョサイア・コンドル。明治政府に必要な西洋建築を手がけると共に旧東京帝国大学で建築学を日本人に指導した男。鹿鳴館設計後コンドルは国家的プロジェクトから外され、民間建築を手掛け始める。なぜ、コンドルは外国人接待用の建築にインド様式を取り入れたのか、なぜ鹿鳴館の設計図が残っていないのか、なぜ、コンドルは国からそっぽ向かれたのか。幕末から明治にかけての激動の時代の中で翻弄される人々の運命と、鹿鳴館を巡る様々な謎の陰に渦巻く日本政府とジャーディン・マセソン商会の陰謀を緊張感たっぷりに描く。」作者北森鴻はこの作品の書き終えることなく帰らぬ人となりました。絶筆。


非常に面白かったです。多くの謎が解け、本当に最後のコンドルが鹿鳴館に仕掛けた謎の解き明かしの所で物語が終わっています。それでも読み応えは十分。

あまりネタバレをしても仕方が無いのでコンドルマニアとして個人的に気に入ったところを紹介。
それは佐立七次郎の人物像!!!マニアックだからついてきてね。

コンドルが初めて教えた学生すなわち一番弟子は5人います。
東京駅、日本銀行などを手がけた辰金こと皆様ご存知の辰野金吾。
赤坂璃宮が代表作、宮廷建築を多く手がけた片山東熊。
日本発の民間建築事務所を設立した曽禰達蔵。
病弱だったためほとんど学校に来ず、結局病死した宮伝次郎。
そして最後の一人が佐立七次郎。代表作は日本水準原点標庫と旧日本郵船小樽支店。

病死した宮はともかく、どうしても前の3人が注目されて、その人物像までが建築史を学ぶものの間ではもはや常識になっているのですが、佐立七次郎に関してはなかなかその人物像が描かれることはなかったのです。
性格は大人しめで取り立てて設計のセンスや技術の理解に優れていたわけでもないとよく書かれ、一言で言うと地味。卒業後の活躍も前の3人に比べるとどうしても見劣りがする(3人が凄すぎるだけ)。

そんな佐立七次郎が、この作品では非常に重要なポストを任されており、フィクションとは言え彼の性格や建築的な思想が、既存の一見地味な正確に上乗せされ、人としての魅力に厚みが出たような、実在感のある人間として描かれているのです。むしろ、辰野・片山・曽根よりも登場回数が多い。
読んでいて非常に好感が持てました。


それとウォートルスの扱いがお約束すぎて面白い。
ウォートルスは大政奉還の少し前に来日したアイルランド生まれの技師。発足して間もない明治政府はとにかく西洋化を進める上でこの技師になんでもお願いした。建築の設計、橋の設計、土木工事。建築を作るレンガがなければ自らレンガの作り方を指導。そして遂には都市設計まで。銀座1丁目を西洋風の街に作り替えたのも彼です。しかし、彼は一介の技師であり正規の教育を受けた建築家ではなかった。日本政府は初めはウォートルス様様だったが、次第に西洋文化を知る上で物足りなくなってきた。彼の設計する建築は西洋建築としてどこかズレていたのである。他の専門技術を持ったお雇い外国人の来日、ボアンビルやコンドルなど建築家の来日により次第に立場を失い、日本での居場所がなくなったのであった。
史実だけで既に面白い、同情を禁じ得ないウォートルスですが、小説内では更に酷い扱いを受けていて不謹慎ながら爆笑モノです。

コンドルを知っている人も知らない人も是非読んでいただきたい。日本の近代及び近代建築というものがどういうスタートを切ったのかよく分かります。

日本文化を愛してやまなかったコンドルに課せられた仕事は古き良き日本の風景を壊して西洋建築を設計すること。自身の内に抱える矛盾をコンドルは日本政府や日本人の心のなかにも見つけます。それでも西洋化の道をひた走る日本の中でコンドルはなにを考えたか。

タイトルの暁英は明治の絵師河鍋暁斎からもらった名。コンドルと暁斎の出会いから弟子入り。そして別れ。

読んでください。英国紳士に惚れてください。
そしてなんだこのオレの熱量。