メトロの表参道駅は現在CLASSYに占拠されています。
改札入って、柱という柱はすべて下の表紙になっていて若干気持ち悪い。
classy

大変お綺麗でオシャレなな方が表紙でこんな女性がウチの事務所のバアさん事務とチェンジになったらどんなに仕事を頑張るだろうかと妄想してしまいます。

ブルーのシャツがとてもお似合いですが、今週の特集はシャツなのです。

「仕事も恋もシャツ次第!」

とかよく言うよね〜って感じなのです。なんでお前たちは仕事も恋もシャツでなんとかしようと考えるのだ?
聞いた話ですが、ある英語の合宿のようなものの講師として元米軍の方が招かれていたそうです。欧米式の授業は先生より生徒のほうが話したりします。課題を与えられ、考え、発表する。その繰り返し。
課題に対する疑問や確認事項を聞いても講師は答えません。ただ「UP to YOU」と答えるのみだそうです。

つまり「あなた次第ですよ」「あなたの考えた通りにするのが正解ですよ」。思考の原点とも言うべき重要な発想です。

当たり前のようですが「仕事も恋もUP to YOU」なのですよ。UP to SHIRTSとか聞いたこと無い。


ところがこのCLASSYとかいう奴らは、
仕事なら、プロジェクトがうまく進まない、営業成績が上がらない、社内の人間関係がしんどい、いいアイデアが浮かばない
恋なら、出会いがない、以前の恋人を引きずる、関係が長く続かない、異性として見てもらえない
などの問題に対してこんな解決を進めるわけです。

「あ、そうか!私、シャツが悪いから!髪型じゃないの、バッグじゃないの、ワンピースじゃないの、問題はシャツだったのよ!」

と溜飲を下げるのがCLASSYの読者なのです。

確かに、お気に入りの服を着た日や女性なら化粧が上手く出来た日はどことなく気分がいいというのは誰にでも経験のあることですし、気持ちが前向きになったり、自信が持てたりしてなにかが上手くいく時もあるでしょう。

その代表として選ばれたのがシャツなんだと。シャツこそが最もその効果を発揮しやすいファッションアイテムなんだと。きっかけとして素敵なシャツを着ることで自然と自信が湧いてくるならそれでいいじゃないか。

そう言いたいのですか?

でも私はそれすら本当に正しいことだと思わないのです。
医学で言うプラシーボ効果をいくら期待しても大きな目標は達成できない。
もちろん自分に自信が持てる人ばかりではないし、誰しもが弱い自分を抱えています。なにか大きな問題に対した時、壁にぶつかった時に、自信を持って突き破っていけるか。その拠り所を自分以外のなにかに求める気持ちは自然と湧いてくる。宗教の役割の一つにも確かにそういうものがあります。

ただ最後は自分なのです。本来はシャツに頼ることなく自分自身胸を張って生きていこうとする姿勢、そうありたいと願いそこを目指す姿勢、その過程こそが最も大事なのではないか。

(いつものように自分でもなにを書いているか分からなくなってきましたが、)それを諦めてはいけないし、その理由にファッションをシャツを使ってもいけない。それこそファッションというモノに失礼でしょうが。

素敵なシャツを着ることに理由など必要ないのです。それを着たいから、気分が良くなるから。それでいいじゃないか。
シャツを着ることでなにか大きな目標を達成しようとすることは、手段としてファッションを利用するということ。

目的と手段の大きな乖離。陥りやすいことですが。

本当にそれでいいのかCLASSY!?



ふぅ、なんとか書ききった。書けば書くほど迷走するので非常に疲れる。