今回はDOMANIを取り上げます。ananのクレイジーさは既に何度も報告して来ましたが、女性ファッション誌において新進気鋭のクレイジーさを強調してやまないのがDOMANIです。

ちなみにDOMANIは「a monthly magazine for working women」とされ、30過ぎの働き盛りの女性を対象としています。
その姉妹的存在のOGGIは「a monthly magazine for happy career women」とされており、”working”と”career”の違いをどう解釈していいか戸惑うところです。”career”を仕事上の上昇志向と理解してもいいけど、それにしても”HAPPY”のアホっぷりが清々しすぎてもうなにがなんだか。多分この"career"の堅い感じを中和するための"HAPPY"あんでしょうが、そういうアホな感じも相まってターゲットが20代後半なんでしょう。

で、DOMANIの最新号です。
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知花くららはいつみても綺麗ですね。決して安い感じにならない、「いい女」感が出てますね。

で、今回のメインの特集がこちら。

「なぜだろう 髪が美人だと
 美人じゃなくても 美人に見える」


まず、日本語として破綻しているのは置いておこう。ホントは置いておきたくないけど置いておこう。

「美人じゃなくても」ってどう考えても余計な一言よね。

仮にもね女性美容ファッション誌にカテゴライズされる雑誌の編集者が、「美人じゃなくても美人に見える」って言葉を使うのはどうなんだ?
美醜の意識にも繋がるんだけど、美人が絶対的な基準ではないと思うんだけどなー。深読みし過ぎかもしれませんが。

ファッション業界に限らず、大きく捉えるとメディア全体に言えることですが、形式化された画一的な価値観がやっぱり私は気になる。
ananにしてもなんにしてもそうなんだけど。最近で言うと「NAVERまとめ」とかのサイトもそういう感じがすごくして嫌。なんとなく一般論のような形式を装って物事を評価しているけど、結局はネットとかあちこちから都合のいい情報と意見を集めて紹介してる。あくまでも情報をまとめて紹介してるだけですよ、と言いながらも情報収集の時点でフィルタリングしてたらそれは紹介を装って自分の考えを出してるだけよね。無責任に。

だからこそなんだけど、逆にそういう価値観から離れている人が私にはすごく魅力的に見えるしそうありたいと思うわけです。RHYMESTERの宇多丸さんや映画評論家の町山智浩さんが好きなのもそういうことです。
もっと多様で複雑な価値観(ベンチューリは未読ですが)があってこそ世の中は面白いのに。価値観を刷り込まれるなんて真っ平ごめんです。途端に安っぽくなる。

ブラスト公論 誰もが豪邸に住みたがってるわけじゃない[増補新装版]
ブラスト公論 誰もが豪邸に住みたがってるわけじゃない[増補新装版]


見事に脱線しました。

月曜日の朝に会社に行くのが億劫ならば、日曜の夜から行けばいい!

とコペルニクス的発想の転回を見せた6時間前の私は若干テンションがおかしくなってこんなことを綴るのであった。