あらん限りの情熱と熱意を持って映画「キャビン」について語るこの記事をS・ハドレーと半魚人に捧げる。

君たちは異変に気付いているだろうか。
映画「キャビン」を見た人々から発せられる猛烈な熱気に満ちた旋風がこの地球に対流していることに気付いているだろうか。

もし気付いていないのなら私がその熱に微力ながらエネルギーを注ごう。
どうか五感を研ぎ澄ましてその感度を上げてほしい。

私の情熱が心の琴線に触れたのならば、早い内に、なるべくなら映画館で上映している内に見てほしい。数カ月後のDVDレンタル開始後でも構わないので店の棚の片隅に数本がさりげなく置かれるであろうこの名作に誰よりも早く手を伸ばしてほしい。

キャビンはそれほどの名作だと私は考えている。どうか全ての人に見て欲しいのだ。

この語り口。。。
危機管理能力の高い本ブログ読者諸君ならば既にお気付きかもしれない。

既に後ずさりを開始、もしくは心のなかでファイティングポーズを取って身構えているかもしれない。

今回は私がともどもなく熱く語り出すいつものパターンなのではないか。
以前のベアーグリルスから始まる通称サバイバル3部作の時もそうだったように。

そんなあなた方に私から親切を送ろう。

今回もそのケースだ。この先は長くなる。

だからこそ、私に免じてここまで読んだあなたに「キャビンを見る」と決意をしてほしい。それが今あなたに出来る最上の選択である。
決意をしたならばこの先を読む必要はまったくないし、これから私が書き連ねるであろう「キャビンを見るという体験」に関する多くの雑言が誰の目にも触れなくとも微塵の後悔もない。
むしろこの素晴らしい映画について語り合うことの出来る稀有な存在が増えることに大いに喜びを感じるだろう。

その決意を下すために必要な材料は最小であればあるほどよい。早ければ早いほどよい。

まだ決意には至らないものの少し興味を持ったあなた。

この続きを読み続けるつもりだろうか?
公式HPを見てみたくなっただろうか?
またはGoogle先生に問い合わせてみるだろうか?

どうかお止めなさい。それは賢明な判断とは言えない。

映画の内容を事前に知れば知るほど、その判断を遅らせれば遅らせるほど、ましてやその肝心要の部分を知ってしまうとこの映画の魅力は激減するのだ。

こんな言葉がある。

「知らなかった時には戻れない」

なにも知らない白紙の状況は今しかないのだ。

どんな映画なのか。ストーリーは、ジャンルは、俳優は、監督は。知りたいことは山のようにある。

分かる。すごく分かる。

でも知るな。どうか私を信じてほしい。それほどまでにキャビンは名作なのだ。

いや、名作というには些か風変わりであろう。

唯一無二。この言い方が相応しい。
こんな映画は他にはないし、これからも早々出てこないであろう。特定のジャンルと言うよりはそれ自体を内包す、、、

おっと言い過ぎた。


話題を変えよう。
本当に白紙の状態から映画を見る行為を経験したことがある人はどれくらいいるだろうか?

では白紙の状態から音楽を鑑賞する行為ならばどうだろう。

例えば、ジャケ買い。

店で見かけたCDをそのまま購入し、それを初めて聞くときの緊張感と高揚感を経験した事がある人は多いだろう。

なぜあんなにも気分が高まるのか。
もちろん予想だにしなかった未知の魅力的なものに触れることによるものだがそれだけではこの状況は成立しない。

例えば友人のオススメするCD。「いいからとにかく聞け」といくら言われてもジャケ買いほどの気分は高揚は有り得ない。

それはリスクを冒していないからだ。

相応の対価を支払い、自らの感性に従って選んだ未知のものに触れる瞬間。
それが予想以上に素晴らしいものであった時、至上の喜びを感じ取れる。

だがその高揚が果たして本物かどうかは一度検証しなければならない。
つまり本当のジャケ買いであったか?という問いだ。

ジャケットは単にキッカケに過ぎず、参加アーティストを調べてみたり、店のポップを参考にしてみたり、果ては視聴してみたりと、当然ではあるが意識的に選択をしているはずで、その選択の過程において直接的にCD内の楽曲についての取捨と想像をしているはずである。

それはもう既に白紙ではない。
白紙を天に掲げ、うっすらと浮かび上がるその輪郭を確認してしまっているのだ。

厳密に言えばそれは既に未知のものではありえないのだ。
その行為は真の意味でのジャケ買いの魅力を、失敗を恐れる自らの弱さ故に減じていると言わざるを得ない。

まさに愚行と呼ぶにふさわしい所業である。十分に恥じてほしい。

本当のジャケ買いはジャケットのみを唯一の拠り所とする場合にのみ達成されるのだ。


映画もまた然りである。
2000円近くと2時間程度という対価とそれが塵と化すリスクを支払い、白いスクリーンを見つめる。
どんなが映画は始まるのだろうか?なにも知らない白紙の状態だからこその緊張感と高揚感がある。

愚かにも事前に情報を仕入れていた場合、そこまでの緊張感も高揚感も決して得られない。

そこで必要なのは唯一想像力である。
上に書いたジャケ買いのように想像力を自由に羽ばたかせることの出来る状態はあまりない。映画のストーリーを知っていたら、PR用の映像を見てしまっていたら当然想像を膨らますことの出来る余地は減じる。

冒頭のシーンが始まったとする。
これは誰なのか?どこなのか?いつなのか?なにをしているのか?全て想像しなければならないし映画内の情報を元に論理的に組み立てる。

この想像力の余地を上映前まで可能な限り残しておくことが映画を楽しむ上で特に重要なのだ。

事前に情報を仕入れていると、あの俳優はいつ出てくるだろうか?あの爆発シーンはどこか?など無意識的にそれを探す。頭の何処かが冷めている状態である。

これは旅行に例えることも出来る。

見たい建物がある。
事前にその建物についての知識を入れ、写真も散々見た。
地図を持って、街に降り立ち、道順の通りに行けば、本やネットで見たあの建物がそこにある。

全て当たり前なのだ。これは当たり前の事を確認しているに過ぎない。
その道順で行けば、このタイミングでそれが現れるのは当たり前だし、写真で見ていればその通りのものがそこにあるのも当たり前。

情報のトレース作業といってもよい。

これでも確かに間違いではない。時間は短縮できるし、確実で無駄な作業がない。
確かにそれでもよいだろう。

しかし、緊張感と高揚感、この場合は感動と言い換えたほうが正確かもしれない、の観点からすれば、出来るだけ情報を外した状態でその建物に出会った時のほうが何倍も感動的なのだ。

なんとなく街をぶらついている時に、ふっとしたタイミングで角を曲がった先に現れる!
通りの向こうにファサードが現れる!カフェの窓からぼんやり外を見上げた時に現れる!その感動!

そこから吸い寄せられるように建物に近づいてみればもっと多くの驚きと発見があるだろう。

未知のものに触れる時は、それが確認作業になるのが一番つまらない。


一部繰り返しになるがここでファーストコンタクトの重要性についても触れておきたい。

有形無形を問わずあらゆる事物いかなる状況においてもファーストコンタクトは存在する。

今あなたがこのキャビンという映画についてどれだけの情報を知っているだろうか。私には想像することしか出来ないが、仮にここで初めてその名を知った人がいるとする。この記事がファーストコンタクトであったとする。

あなたが今知っている情報は映画のタイトルである「キャビン(山小屋)」と一部に私のような熱狂的な(面倒くさい)ファンを持っているということぐらいであろう。私が散りばめた少ないヒントをキャッチしている方もいるかもしれない。

私としては最小かつ最大のヒントを与えたつもりだ。ジャケ買いで言えばでジャケットをチラ見せした程度だ。これ以上の情報はあなたの想像力の自由を奪いかねない。

ファーストコンタクトはこの程度がよい。初めてその情報に触れるときにあまりに知りすぎてしまうと結果的に後の感動が減じることとなる。
最近の映画はHPやテレビ等でかなり多くの情報を垂れ流す。それは観客側の興味の問題であって、そこまで中身を開示しないと来てくれないのである。
本当なら配給会社も出来るだけ白紙の状態で来て欲しいと思っている。そのほうが映画というエンターテイメントを楽しめるし、結果的に映画産業のためになる。
しかし、この情報時代、人々は臆病になり、失敗することを恐れた。知りたければいくらでも映画の中身を知ることが出来る。いわゆるネタバレというものを知ってから見に行く人もいる。すると当然ながら面白さは半減するし、映画に対する失望にも繋がる。

こういう悪循環を断ち切るにはどうしたらよいか。
どうか一度でいいから、白紙から見て欲しい。

とは言え、ファーストコンタクト自体が存在しなければそのものの存在自体を認識出来ないので、如何に最小限のコンタクトを取るかがポイントとなろう。

過剰なファーストコンタクトは禁物である。
常に危機意識を持ち、過剰な情報に触れそうになった際はどうか薄目と耳を塞ぐことで対処して欲しい。


何度も言うが決断すべきタイミングは今なのだ。

既に期は熟している!

もう十分知ったであろう。
どうかここらで決意をして欲しい。無論未だにこの記事を読み進めている読者の方々がいるとは思っていない。既にこの記事はキャビンを進めるという目的から、自らに課した使命と覚悟の次元に達している。

身近な例に例えると、ブチャラティがジョルノに告げた戦慄の名文句
「質問は既に拷問に変わっているんだぜ!」に近い。


Cabin
in the Wood


突然であるがここでこの記事を終える。

もうかれこれ2週間ほど足したり引いたりしながら文章をこねくり回していたのだが、とある人物のブログを読んでその文章力に感動してしまったからである。

言葉選び、ウィットに富む表現と皮肉、明快な主張と文章のリズム。

私は激しい自己嫌悪に陥ったのだ。

これに関しては次回以降もしくはその内に書いていこうと思う。

ジェーン・スーめ。最高だ。