Libero come un gatto

ゆるゆると生き長らえたい、イタリアの猫のように。

雑誌や書籍の話

最近の「孫の力」

一昨年に「孫の力(まごのちから)」という雑誌が創刊されました。

孫という血縁関係を表す言葉をある種ブランドやアイドルのように意味を差し替えて、孫に関するあらゆる事項を特集するこの雑誌は非常にセンセーショナルでした。

私も思わず食いついて賞賛を送りました。(記事はこちら

そもそもどういうコンセプトの雑誌であるかは雑誌自身の言葉を借りて見ましょう。
声に出して読むことをオススメします。

「孫となかよく暮らすための
しあわせ情報マガジン
孫はあなたと日本の未来です。

孫はあなたの未来です。孫は目の前で遊び、笑い、呼吸する、「今を生きる未来」そのものです。そして祖父母は孫を無条件に、何の留保もなく、心の底から愛することができます。それは自身と家族の未来、ひいては日本と世界の未来を、何の留保もなく慈しむのと同義です。

孫ではない何かを通じて、そういうことはできるでしょうか。「できる」という人もたくさんおられると思います。でも「そういえば、できないな」という人もまた、たくさんおられるはずです。

孫を通じて、すべての未来を慈しもう。雑誌『孫の力』は、この心意気でスタートしました。原案・監修はベストセラー新書『孫の力』の著者であるサル学者の島泰三氏。孫の成長を6年間にわたって観察・記録する試みを通じて、大きく広がった島氏の知と慈愛のフィールドをお借りして、雑誌『孫の力』は読者と一緒に遊ぶ雑誌を目指します。

現役の祖父母も、未来の祖父母も、すべての大人の方々に「カモン、ジョイナス!」。」



「カモン、ジョイナス!」

スケールが壮大過ぎて、孫ではあるが孫はいない私にはまだ理解できません。
つまりはこういうノリです。


隔月刊の本雑誌も気づけば第13号が発売されています。

先日ジュンク堂でじっくりと立ち読みをこなしてきたので、最近の孫事情をご紹介したいと思います。
孫の力
私は常日頃から雑誌に目を光らせていますが、やはり何と言っても手に取るきっかけになるのは表紙です。表紙を1分ほどかけて隅から隅までじっくりと眺めます。そこで面白そうだと判断して初めてページを開いて、巻頭の広告から目次まで読み進めるのです。

意外とこの「表紙をじっくり読む」ことは軽視されていて、そこにちりばめられた意図を読み取ることで初めてその雑誌を理解出来ると私は思っています。

で、今号の「孫力」(「まごりき」と勝手に略称を作りました)はどうでしょうか。
一番上に「笑って100歳を迎えるための孫情報マガジン」とありますが、お前が100歳の頃には対象となる孫は少なくとも30歳は軽く超えてるぞってことです。なんなら曾孫がいても不思議じゃない。大丈夫か?

もう一度聞くけど大丈夫か?

そしてタイトルの「孫の力」。非常に堂々としていて良いです。遠くからでも近眼でも大丈夫。
昨今はモデルがタイトルの上に印刷されている雑誌も多く見受けられる中、この心意気は買いたい。

全体の構成は非常にシンプルです。
実際は多岐にわたる特集が組まれているのですが、それらを排除しメインの特集に絞った一点突破型です。

「孫のためのハローワーク」

孫の将来はわしらにかかっちょる!ってな勢いですよ。親は?親はどうなる?っていう我ら孫素人のツッコミなど彼らの耳には届かない。

更に、それは加速すると「親は語れぬ、わしらだけが孫に語れるストーリー」つまりは親に対するアドバンテージとしての「戦争体験特集」に発展します。

8月ということもあってこんな特集が組まれます。
「ねぇ、じぃじ。せんそうってなあに?」特集!

孫に伝えるべきことはなにか。戦争というものを日本の過去を、親には決して語れない実体験に基づく緊迫したリアリティをもって孫に伝える、祖父母世代の切り札的オプション。

この親に対するアドバンテージというのはこの雑誌に重要な概念となっています。表立っては出てきませんが目を通していると無意識的に存在している対抗心というか。

それを私は「制孫権の奪い合い」と呼びます。

戦争時に制空権や制海権という用語が用いられます。特定の空域や海域に対する支配の実効力を表した言葉ですが、孫という領域を巡って両親と祖父母が「制孫権」を奪い合うのです。

実親ではないという圧倒的不利な立場から始まるのが制孫権奪回の常。
これを如何に攻略するか。

単純に書けば祖父母の武器は「時間と金と経験値。そして責任の軽さ。」です。

そういった視点を元にいざページを捲って目次にたどり着きましょう。

そこにはカオスが広がっています。
詳細はこちらを各自ご確認して頂くとして、ここでは私が注目した特集や連載を幾つか取り上げます。

・孫と一緒に蜂蜜を採る 元・新幹線運転士

要は自慢ね。孫が最も興味を引きやすい新幹線の元運転士でありつつ、一緒に蜂蜜も取っちゃうワシ!みたいな。


・グランマグランパ
 孫と楽しむジィジとバァバのスタイルブック


じぃじばぁばではなくあえてのグランパ。だからどういうスタイルで孫と接するかと。もはや孫はライフスタイルを彩る一つアイテムとしての解釈されている模様。


・孫に負けないデジタル機器入門

今号ではスマホでしたけど、何故に孫をライバル視しているのか。
あと、基本的にこの雑誌は孫を漠然と捉えすぎて、想定年齢を明確にしていないのが問題。

・祖父母と孫をつなげる 折り紙の力 山口真

いわゆる経験値を武器にした事例ね。孫と折り紙で遊ぶだけなのに別に「繋がる!!これが折り紙の力!!!」とか気張っていうことか?


・なるほどな!孫ワールド
 出番あり!獣電戦隊キョウリュウジャー


孫が知りたければ、孫の興味あるものを知るべきっ!つってヒーロー戦隊もの。
涙ぐましい努力といえば聞こえはいいけどあざといよね。こういう受け売りの知識が孫は一番嫌いだと思うぞ。


・10歳からの「仏教心」入門

だからと言ってお前の得意分野で勝負するのもどうかと思うのですよ。10歳からのって宣言している以上、想定孫年齢は10歳以上、もしくはそれに近い年齢。
制孫権の話を先ほどしたけど、それっていつか終わるんですよ。わかりますよね。孫の独立ですよ。自立をしてしまったら制孫権もなにもない。
10歳って結構自立してきていると思うけどな。じぃじと遊んでるより友達とDSやってるほうが楽しいだろ多分。


・祖父母の言葉の力
 孫の心に残る名言コレクション


別に孫に聞いたわけではないけど、名言とされているところが最大のツッコミポイント。
名言かどうか判断するのは自分!ここに掲載されている言葉を孫に刻めば、もう名言を吐いたも同然という自己中心的な思想が怖い。

・ここまで変わった!今の子育て・昔の子育て

今号ではチャイルドシートでした。道交法の改正でチャイルドシートは義務化されておりますのでそこのところを時代が変わったのよと解説。こういうのがまともな特集。

・孫に伝えたい日本の伝統行事 お盆

ここにも経験値がものをいう。両親などお盆に関してはまだまだひよっこであろう。お盆に関してはワシに聞け!ってもんで。ただお盆なんて習うというより漠然と自然に理解していくものだと思うけどなあ。得意満面に解説されても困るし、ここでも想定孫年齢が気になる所。

・島九段の孫に教えたい将棋教室

自分の領域にいかに取り入れるか。「もし、孫が将棋に興味をもったらこっちのもんじゃ」っていう下心が感じられる。

・明るい農孫 千葉県山武市・齊藤家の孫

農孫(のうそん)!という言葉。孫を紹介するってほんとよく分からん。我が家のペットを紹介するみたいなノリになってないですか?
そういうメディアに露出することに対するバランス感覚や倫理観ってのは祖父母らにとってもっとも苦手な分野なんじゃないでしょうか。

・孫と聴きたい音楽 鈴木淳史/麻田浩
・孫と読みたい本 土井章史/大杉信雄
・孫と観たいDVD 阿部雄介/大谷和利
・孫と作りたい料理 桜井莞子


ホント孫が好きねえ、あんたたち。

・孫の力オンラインショップ

先ほど覗いてきましたが、両親との経済力の差を存分に見せつける事のできるようなラインナップでございました。



というわけでまとめます。

あくまでもこの雑誌内での「孫」の扱いは、祖父母らの人生をより充実したものにするためのある種のアイテムや娯楽となっています。毎号に渡って教育や就職に関するいかにも孫の将来を考えた特集が組まれていますが、どれも現実的に意味があるものとは到底思えず、それらは祖父母にとっての自己満足や、ある種のパフォーマンスでしかありません。その他、孫とのコミニュケーションを図るにあたって多くの方法が紹介されていますが、祖父母世代にとって馴染みの多いジャンルを扱った上でそれを「孫と〜したい!」というスタンスで、孫目線に合わせて、本当にコミニュケーションを取ろうとする姿勢が感じられません。それは上に書いたようにあくまでも孫がご楽でありライフスタイルを彩るアイテムとして無意識に捉えているからです。また、孫の想定年齢が明らかでなく、今号においても乳幼児から小学生高学年辺りを対象としているブレがありました。更に、両親との制孫権をめぐる争いは露骨には書いてありませんが、「両親」という存在を雑誌上から抹消している以上、それは意識的に排除しているとしか思えず、非常に違和感を覚えます。両親も交えてコミニュケーションを取ることが本来理想なのですから制孫権を意識して露骨な排除を実生活で行ってしまうと、孫からの信頼を失うという「じぃじばぁば失格」というレッテルを張られることになります。それを避けたいのであれば、今すぐ孫のところへ行き、両親にその非礼を侘び、あなたという人間性で孫と「人対人」のコミニュケーションを取ってください。孫にとってあなたに時間と金と経験値があることなどなにも関係がない。人として魅力があるかないか。自分にとって必要な人間か否か。それ以上でもそれ以下でもありません。

以上です。お付き合いありがとうございました。

天才・麻生久美子の「木こり=最強」理論

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麻生久美子様

拝啓

梅雨入りも間近に迫り、日に日に蒸し暑くなってきています昨今ですが如何過ごされているでしょうか?

この度は、貴女が表紙を飾られた格闘技専門雑誌「KAMINOGE」を拝読させて頂きました。

お姿は改めて私が言及するまでもなく、お変わりなくお美しいと思うのですが、何よりもまずそのTシャツに目が釘付けになりました。

それはグレート・ムタのTシャツですね。

麻生久美子×グレート・ムタ

流石です。そのセンスに感服いたします。

この世広しといえど、ここまでグレート・ムタを着こなすことの出来る人もなかなかいないでしょう。

ひょっとしたらピョン吉のようにグレート・ムタがTシャツ上で暴れだすんじゃないかと期待してしまうぐらいの活きの良さを感じます。


カルフォルニア湾産地直送グレート・ムタ


そしてその横の文字に目が行きます。

天才・麻生久美子の「木こり=最強」理論

私も数多くの雑誌を読んできましたが、ここまで手に取らずにはいられない雑誌を見かけたことは記憶にございません。

もしかしたら、表紙の貴女の写真だけでは、眺めるだけで済ませていたかもしれません。
それが「木こり=最強」理論とあっては読まずにはおられませんでした。


なるほど、木こり=麻生久美子=最強という構図だったのですね。

夫である伊賀大介さんの言う「こいつはやる時は人の腕でも折る女だ」と言葉。

つまりは普段はどちらかと言えばおっとりとした雰囲気な人が、一度その人の持つポテンシャルを発揮すると大きなことを成し遂げてしまう。

あいつはキレさせるとマジヤバい。

その例えとしての「木こり」。

いい言葉のチョイスだと感激しました。


あと、最近の趣味が「Googleで検索すること」っていうのが可愛すぎます。

なんていうかずるい。

あぁずるい。

存じ上げておりませんでしたが、小さい頃は大変苦労されていたそうですので、今がお幸せそうで何よりだと思います。

これからもがんばってください。

とりあえず私は久しぶりに「時効警察」を見ます。
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だからずるいって。

敬具

バッカンテというもの

About Bacchante

ファッションを着こなすように

腕を組むより手をつなぎたい。
恋愛だって対等でありたい。
男に媚びる女でいたくない。

強い女という訳ではなく、自立していたいだけ。

バッカンテとは、お酒の女神。バッカンテにとって『お酒=洋服』であり
『料理=ヘアスタイル+メイク+ネイルetc…』なのです。

シーンによって着こなしが変わるように、お酒も料理もファッションのように着こなす!
街に繰り出し、お酒と料理と人とのマリアージュを粋に着こなす。

そう、それがバッカンテ流!!!
http://bacchante.jp/about_bacchante/


世の中にはバッカンテという上記のようなコンセプトで作られている雑誌があるのです。

どこから手をつけてよいか分からないのです。

本当に意味が分からなくて、もしかしてこれを理解できない私の方に問題があるのかと思うほどの大胆な壊れっぷりなのです。

なんかスゴイよね。

カフェとかで仕事の相談をされた時に「次の雑誌のコンセプト、こんな感じでいこうと思うんだけどどう?」とかすごくキレイな女性に言われたら、なんて言っていいか分からない。
ますは「お酒=洋服」と「料理=ヘアスタイル+メイク+ネイルetc…」について説明させようかな。

こういっては言葉が汚いけど、きっと頭悪い。

美人という概念とその価値観

今回はDOMANIを取り上げます。ananのクレイジーさは既に何度も報告して来ましたが、女性ファッション誌において新進気鋭のクレイジーさを強調してやまないのがDOMANIです。

ちなみにDOMANIは「a monthly magazine for working women」とされ、30過ぎの働き盛りの女性を対象としています。
その姉妹的存在のOGGIは「a monthly magazine for happy career women」とされており、”working”と”career”の違いをどう解釈していいか戸惑うところです。”career”を仕事上の上昇志向と理解してもいいけど、それにしても”HAPPY”のアホっぷりが清々しすぎてもうなにがなんだか。多分この"career"の堅い感じを中和するための"HAPPY"あんでしょうが、そういうアホな感じも相まってターゲットが20代後半なんでしょう。

で、DOMANIの最新号です。
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知花くららはいつみても綺麗ですね。決して安い感じにならない、「いい女」感が出てますね。

で、今回のメインの特集がこちら。

「なぜだろう 髪が美人だと
 美人じゃなくても 美人に見える」


まず、日本語として破綻しているのは置いておこう。ホントは置いておきたくないけど置いておこう。

「美人じゃなくても」ってどう考えても余計な一言よね。

仮にもね女性美容ファッション誌にカテゴライズされる雑誌の編集者が、「美人じゃなくても美人に見える」って言葉を使うのはどうなんだ?
美醜の意識にも繋がるんだけど、美人が絶対的な基準ではないと思うんだけどなー。深読みし過ぎかもしれませんが。

ファッション業界に限らず、大きく捉えるとメディア全体に言えることですが、形式化された画一的な価値観がやっぱり私は気になる。
ananにしてもなんにしてもそうなんだけど。最近で言うと「NAVERまとめ」とかのサイトもそういう感じがすごくして嫌。なんとなく一般論のような形式を装って物事を評価しているけど、結局はネットとかあちこちから都合のいい情報と意見を集めて紹介してる。あくまでも情報をまとめて紹介してるだけですよ、と言いながらも情報収集の時点でフィルタリングしてたらそれは紹介を装って自分の考えを出してるだけよね。無責任に。

だからこそなんだけど、逆にそういう価値観から離れている人が私にはすごく魅力的に見えるしそうありたいと思うわけです。RHYMESTERの宇多丸さんや映画評論家の町山智浩さんが好きなのもそういうことです。
もっと多様で複雑な価値観(ベンチューリは未読ですが)があってこそ世の中は面白いのに。価値観を刷り込まれるなんて真っ平ごめんです。途端に安っぽくなる。

ブラスト公論 誰もが豪邸に住みたがってるわけじゃない[増補新装版]
ブラスト公論 誰もが豪邸に住みたがってるわけじゃない[増補新装版]


見事に脱線しました。

月曜日の朝に会社に行くのが億劫ならば、日曜の夜から行けばいい!

とコペルニクス的発想の転回を見せた6時間前の私は若干テンションがおかしくなってこんなことを綴るのであった。

雑誌雑感

・シンデレラタイム

主婦雑誌によると、専業主婦にとって10時から14時は「ママのシンデレラタイム」と言って、自分らしく時間を使えるとっても大切な時間だそうです。
それはさておき、運動や筋トレなどで筋肉に負荷をかけた後の30分は「筋肉のゴールデンタイム」といって、このあいだにプロテインなどをきちんと摂取すると筋肉モリモリになるぞ!

・麻生久美子は建築分かっとる

リンネルという雑誌の巻頭で麻生久美子が連載を持っておるのですが、そこに直島に行った話が書かれておりました。そこでベネッセミュージアムのことを紹介するのに「安藤忠雄さんが建築した」って書いてありました。
この「建築する」っていう概念ね。そして建築という行為。設計したとか建設したとかじゃなくて建築したという概念。
分かってんじゃねーか麻生様。

・そういやマストバイって最近見ない

表題は関係ありませんが、男性ファッション誌における命令・断定口調はなんなんでしょうか?「この冬はモッズコートで決めろ!」とかね。それにしても「男の隠れ家」とか「男の料理」とか一連の「男の〜」シリーズってほんとくだらないものが多いね。物事を細かく細かくカテゴライズしていくとどんどん空虚になっていく気がする。ちょっと違うけど「トイプードル専用ドッグフード」とかね。アホかって感じ。シャア専用ザクはいいんだけど。さらにちょっと違うけど、卒論を書いている時に先生が「君たちはすごく卒論のテーマを細かい方へ細かい方へ持って行こうとするけど、それって余計に論文としてのハードルはどんどん上がっていってるからね」と言っていたのを思い出した。
より細分化されると専門性も高まるし情報の濃度もあがってくるからそれだけ突っ込んだ議論が必要になるんよね。もっと大きく捉えたほうが全体の傾向とか特徴は捉えやすい。
見事に脱線。

・「かわいいおっぱい」という概念

ドマーニの車内広告に「来年こそはかわいいおっぱい、かわいいお尻を手に入れる」的な特集が書いてありました。この「かわいいおっぱい」という言葉。非常に危険ですよ。
男性女性問わずですが、女性を褒める際に思うように言葉が見つからない時に「かわいい」って使いますよね?自分がいいと思っていても最適な表現が見つからないとか、またはよくないと思っても正直に言えないから逃げの言葉を探している時とかに「かわいい」ってい使いますよね。または少し期待していたものより違っていたけどまたそこが「逆に」かわいいっていう外しのパターン。
「かわいいおっぱい」っていうのを本当にそう思ったならなにもいうことは無いですが、例えば取り立てて感想は浮かばないけどなにか言わなくちゃいけないようなシチュエーションにおいて目の前のおっぱいになんと言うか?言わないなら言わないでもいいかもしれないけど、この間(ま)を埋めるなにか言葉が欲しい時になんと言うか?

「かわいい」

とても便利な言葉。よく女性の「かわいい」は信用出来ないとかいうけど、上に書いたように非常に便利な言葉だからですよね。なので「かわいいおっぱい」を目指すってのはちょっと危険。
これが「美しい」とかなら本当にそうなんだろうけどね。「キレイ」だとまだ疑念が残る。

更に言わせてもらうとね。「かわいい」って確かに使うんだけど、それってそのものに対して向けている場合とその人自身に向けて言ってる場合が曖昧な意味として交じり合ってる言葉なんよね。
おっぱいにかわいいと言ったとしても、それは本当におっぱいに向けて言った言葉なのか、それを保持している人自身に向けて言った言葉なのかってものすごく曖昧。それは言われた方は突き詰めない方がいい場合が思うけど。上で書いた「逆に」かわいい用法まで入ってくると更に曖昧で、結局なんなのよって気になる。

日本語の難しさであり、面白いとこですね。

ま、褒めるときはより具体的に「ここがいい!」って言うといいですよ。

そう、それは甘え

アダルトビデオのタイトルの独自な世界観とセンスについては以前から注目しており、「面白いのを見つけては笑う」ということを繰り返してきたのですが、ここに来て近年稀に見る名タイトルがあったのでご紹介しようと思いました。



「このファッキンゴージャスバディに勃起しなかったらそれは甘え」


来たぁ〜〜〜、体言止め!!!

もう最初見た時爆笑で、ヘンラヘンラ笑ってたら汗かいてきて、もう「おばあちゃんタオル!」って感じ。

どんな中身かはまったく知らないんだけど、もはやそんなことはどうでもいいい。
ただひとつ気になるのは自分が甘えているのかどうかだけ。ま、そんなことは杞憂にすぎないんだけど。


徹夜明けのテンションってフフーン♪

ベアさんのことを話そう

ディスカバリーチャンネル「Man VS Wild」(日本語タイトルは「サバイバルゲーム」)という番組をご存知でしょうか?

実は私はこの番組と出演しているベア・グリルスさんの大変なファンなのです。

今夏に(遂に!)日本語版DVDが発売されることを知り、嬉しさのあまりFacebookに書き込み、もしかしたら知っている人がいて反応あるかも?と期待していたのですが、見事に全員からガン無視を決められるという恥辱を味わったので、ここで熱量多めに語りたいと思います。

とりあえず上のリンクから番組公式サイトへに飛んでいただきたい。

このような番組紹介があります。
「イギリス軍特殊部隊の元隊員グリルスは、エベレストに登り、北極圏を冒険したタフな男。だがこの番組で彼が教えるのは、普通の旅行者が最も過酷な環境下に置かれたときのサバイバルテクニック。熱帯雨林に落下傘で降下し、砂漠や湖など荒涼とした地で生き残るための知恵だ。あなたなら無事に生還できるだろうか。」

ベアさんは毎回、過酷な自然環境の中にナイフと火打石と水筒だけを持たされて、放り出されます。水・食料・道具など生き残るための全てを自分の力で見つけ出し・作り出し、最終的に人に助けてもらえる所(村落、道路、鉄道など)まで生き残ることが目標です。

このベアさん、どんな人かというと元々は英国陸軍特殊部隊の軍人。つまりはサバイバルに関するスペシャリスト。公式サイトのプロフィール写真を見ましたか?
bea_photo
こちらです!
プロフィール写真に、アラスカの雪山で見つけた死んだばかりのトナカイの腹に顔を突っ込んで肉を食いちぎった直後の顔を持ってくるのは世界広しと云えどベアさんぐらい。

番組の中では様々な状況で必要な知識やテクニックを伝授してくれます。砂漠での水の見つけ方、火の起こし方、食べられる植物などなど。これだけ書くと真っ当なサバイバルの知識ですが、ベアさんはこんなもんじゃない。
時には、椰子の木で筏を作るテクニック、竹でハンモックを作るテクニック、ヒグマの追跡を断ち切るテクニック、羊や蛇の皮を剥ぐテクニック、コウモリを洞窟内で捕まえるテクニック、飲んだら確実に腹を壊すような汚水をどうしても摂取しなきゃいけない時に直腸に突っ込んで摂取するテクニックなどを華麗に披露。

基本的にはこういう知識を実践の中でどんどん紹介する番組なのでこちらもどんどん吸収すればよいのです。
例えばこんな感じ。
「体を乾かすにもタオルがない。そういう時は雪です。奇妙でしょうが体についた水分を雪がいくらか吸収してくれます。」
「ミミズや昆虫は80%がたんぱく質。牛肉はわずか20%です。」
「雪洞の大きさは体の3倍にしろと言います。大きすぎると熱を奪われます。逆に小さいと雪洞が縮んだ時に生き埋めの危険があるんです。」


凍った湖に落ちた時の脱出方法など、わざと落ちてくれますからね。親切っていうか。本当に死ぬよ?と心配になることも。

この方アメリカの人気番組のホストだけあって非常にユーモアがあって面白い。吊り橋を渡っている時にロープが切れて宙ぶらりんになってもカメラに向かって状況を伝えてくれますし、ミミズを食べ後にもきっちり味をレポートしてくれます。

そしてサバイバルに最も必要なものは「何があっても生きて帰る。家族の元に帰る。」という気持ちだと繰り返し訴えます。

もう世界中の過酷な環境へ何十回も行っているベアさんの言葉には深いものがあります。
太平洋の無人島、南米のジャングル、北極圏の氷河、サハラ砂漠、アフリカのサバンナ、ロッキー山脈の雪山など。番組を見ているだけで無性に自然環境の中に飛び出したくなるのです。そして私もベアさんと同じく帰ってくると勝手に誓ってしまうのです。

無人島になにか一つ持って行くなら何にする?なんて話題はよく出ますが、私は「ナイフ」で確定です。あんなに便利なもんはないねと番組を見て思いました。

そんな気持ちが高まって遂にはこんな本を買うまでに。
米陸軍サバイバル全書 [新版]
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超面白いぞ。

この本の話はまた後日するとして、そんなベアさんの日本語版DVDが発売されたのです。そりゃあ興奮するよね。一部のベアさんファンの間では感涙モノの出来事なのです。
まだ魅力が伝わってない方のためにいくつかベアさんの写真を用意しました。
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このジャングルで寝そべって、蛇の串焼きが出来上がるのをじっくり待ってる感じ、最高よね。

次の写真はショッキングなのでリンクにしておきます。ベアさんがシマウマの肉をかぶりついているところです。
想像しました?その3倍ぐらいショッキングなのを覚悟した方はこちらへ

色々と突っ込みどころはありますし、ちょっと面白可笑しいところだけを今回チョイスしてしまったのでアレですが、非常に上質なエンターテインメントであることは間違い無いです。若干、ショッキング映像は多めですが。

インターネットを探せば、ディスカバリーチャンネルで放送された番組が見れますので気になる方は探してみては?私に聞いてもらっても構いません。

それでは夏に「Man VS Wild ベア・グリルス鑑賞会」を開きましょう。

そんな事言ったって仕方が無いだろと言われてもやめない。

メトロの表参道駅は現在CLASSYに占拠されています。
改札入って、柱という柱はすべて下の表紙になっていて若干気持ち悪い。
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大変お綺麗でオシャレなな方が表紙でこんな女性がウチの事務所のバアさん事務とチェンジになったらどんなに仕事を頑張るだろうかと妄想してしまいます。

ブルーのシャツがとてもお似合いですが、今週の特集はシャツなのです。

「仕事も恋もシャツ次第!」

とかよく言うよね〜って感じなのです。なんでお前たちは仕事も恋もシャツでなんとかしようと考えるのだ?
聞いた話ですが、ある英語の合宿のようなものの講師として元米軍の方が招かれていたそうです。欧米式の授業は先生より生徒のほうが話したりします。課題を与えられ、考え、発表する。その繰り返し。
課題に対する疑問や確認事項を聞いても講師は答えません。ただ「UP to YOU」と答えるのみだそうです。

つまり「あなた次第ですよ」「あなたの考えた通りにするのが正解ですよ」。思考の原点とも言うべき重要な発想です。

当たり前のようですが「仕事も恋もUP to YOU」なのですよ。UP to SHIRTSとか聞いたこと無い。


ところがこのCLASSYとかいう奴らは、
仕事なら、プロジェクトがうまく進まない、営業成績が上がらない、社内の人間関係がしんどい、いいアイデアが浮かばない
恋なら、出会いがない、以前の恋人を引きずる、関係が長く続かない、異性として見てもらえない
などの問題に対してこんな解決を進めるわけです。

「あ、そうか!私、シャツが悪いから!髪型じゃないの、バッグじゃないの、ワンピースじゃないの、問題はシャツだったのよ!」

と溜飲を下げるのがCLASSYの読者なのです。

確かに、お気に入りの服を着た日や女性なら化粧が上手く出来た日はどことなく気分がいいというのは誰にでも経験のあることですし、気持ちが前向きになったり、自信が持てたりしてなにかが上手くいく時もあるでしょう。

その代表として選ばれたのがシャツなんだと。シャツこそが最もその効果を発揮しやすいファッションアイテムなんだと。きっかけとして素敵なシャツを着ることで自然と自信が湧いてくるならそれでいいじゃないか。

そう言いたいのですか?

でも私はそれすら本当に正しいことだと思わないのです。
医学で言うプラシーボ効果をいくら期待しても大きな目標は達成できない。
もちろん自分に自信が持てる人ばかりではないし、誰しもが弱い自分を抱えています。なにか大きな問題に対した時、壁にぶつかった時に、自信を持って突き破っていけるか。その拠り所を自分以外のなにかに求める気持ちは自然と湧いてくる。宗教の役割の一つにも確かにそういうものがあります。

ただ最後は自分なのです。本来はシャツに頼ることなく自分自身胸を張って生きていこうとする姿勢、そうありたいと願いそこを目指す姿勢、その過程こそが最も大事なのではないか。

(いつものように自分でもなにを書いているか分からなくなってきましたが、)それを諦めてはいけないし、その理由にファッションをシャツを使ってもいけない。それこそファッションというモノに失礼でしょうが。

素敵なシャツを着ることに理由など必要ないのです。それを着たいから、気分が良くなるから。それでいいじゃないか。
シャツを着ることでなにか大きな目標を達成しようとすることは、手段としてファッションを利用するということ。

目的と手段の大きな乖離。陥りやすいことですが。

本当にそれでいいのかCLASSY!?



ふぅ、なんとか書ききった。書けば書くほど迷走するので非常に疲れる。

暁英 贋説・鹿鳴館

暁英 贋説・鹿鳴館
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以前、このブログで見知らぬ方より紹介いただいた一冊。ずっと気になっていたので遂に読んで見ました。

あらすじ
「明治の開国以来の西洋化の象徴とも言える鹿鳴館。そのデザインは西洋風とも和風とも言えないデザインで、西洋人にはバカにされ、日本政府からも不満が大きかった。その設計を行ったのはイギリス建築界の若きホープであったお雇い外国人ジョサイア・コンドル。明治政府に必要な西洋建築を手がけると共に旧東京帝国大学で建築学を日本人に指導した男。鹿鳴館設計後コンドルは国家的プロジェクトから外され、民間建築を手掛け始める。なぜ、コンドルは外国人接待用の建築にインド様式を取り入れたのか、なぜ鹿鳴館の設計図が残っていないのか、なぜ、コンドルは国からそっぽ向かれたのか。幕末から明治にかけての激動の時代の中で翻弄される人々の運命と、鹿鳴館を巡る様々な謎の陰に渦巻く日本政府とジャーディン・マセソン商会の陰謀を緊張感たっぷりに描く。」作者北森鴻はこの作品の書き終えることなく帰らぬ人となりました。絶筆。


非常に面白かったです。多くの謎が解け、本当に最後のコンドルが鹿鳴館に仕掛けた謎の解き明かしの所で物語が終わっています。それでも読み応えは十分。

あまりネタバレをしても仕方が無いのでコンドルマニアとして個人的に気に入ったところを紹介。
それは佐立七次郎の人物像!!!マニアックだからついてきてね。

コンドルが初めて教えた学生すなわち一番弟子は5人います。
東京駅、日本銀行などを手がけた辰金こと皆様ご存知の辰野金吾。
赤坂璃宮が代表作、宮廷建築を多く手がけた片山東熊。
日本発の民間建築事務所を設立した曽禰達蔵。
病弱だったためほとんど学校に来ず、結局病死した宮伝次郎。
そして最後の一人が佐立七次郎。代表作は日本水準原点標庫と旧日本郵船小樽支店。

病死した宮はともかく、どうしても前の3人が注目されて、その人物像までが建築史を学ぶものの間ではもはや常識になっているのですが、佐立七次郎に関してはなかなかその人物像が描かれることはなかったのです。
性格は大人しめで取り立てて設計のセンスや技術の理解に優れていたわけでもないとよく書かれ、一言で言うと地味。卒業後の活躍も前の3人に比べるとどうしても見劣りがする(3人が凄すぎるだけ)。

そんな佐立七次郎が、この作品では非常に重要なポストを任されており、フィクションとは言え彼の性格や建築的な思想が、既存の一見地味な正確に上乗せされ、人としての魅力に厚みが出たような、実在感のある人間として描かれているのです。むしろ、辰野・片山・曽根よりも登場回数が多い。
読んでいて非常に好感が持てました。


それとウォートルスの扱いがお約束すぎて面白い。
ウォートルスは大政奉還の少し前に来日したアイルランド生まれの技師。発足して間もない明治政府はとにかく西洋化を進める上でこの技師になんでもお願いした。建築の設計、橋の設計、土木工事。建築を作るレンガがなければ自らレンガの作り方を指導。そして遂には都市設計まで。銀座1丁目を西洋風の街に作り替えたのも彼です。しかし、彼は一介の技師であり正規の教育を受けた建築家ではなかった。日本政府は初めはウォートルス様様だったが、次第に西洋文化を知る上で物足りなくなってきた。彼の設計する建築は西洋建築としてどこかズレていたのである。他の専門技術を持ったお雇い外国人の来日、ボアンビルやコンドルなど建築家の来日により次第に立場を失い、日本での居場所がなくなったのであった。
史実だけで既に面白い、同情を禁じ得ないウォートルスですが、小説内では更に酷い扱いを受けていて不謹慎ながら爆笑モノです。

コンドルを知っている人も知らない人も是非読んでいただきたい。日本の近代及び近代建築というものがどういうスタートを切ったのかよく分かります。

日本文化を愛してやまなかったコンドルに課せられた仕事は古き良き日本の風景を壊して西洋建築を設計すること。自身の内に抱える矛盾をコンドルは日本政府や日本人の心のなかにも見つけます。それでも西洋化の道をひた走る日本の中でコンドルはなにを考えたか。

タイトルの暁英は明治の絵師河鍋暁斎からもらった名。コンドルと暁斎の出会いから弟子入り。そして別れ。

読んでください。英国紳士に惚れてください。
そしてなんだこのオレの熱量。

フジモリ式建築入門

フジモリ式建築入門 (ちくまプリマー新書 166)
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藤森さんのフジモリ式建築入門を読了。
大変読みやすく短い通勤時間でも数日で読めてしまいました。
藤森さんらしい小気味いい語り口で面白かったです。

趣旨としては「建築とはなにか」を建築史を通じて確認するというもので、「空間」の始まりからピラミッドに代表される巨大建築出現までの流れ、西洋における教会建築の発展、日本における住宅の発展を追っていきます。

全体を通じて藤森さんが書いているのは建築の中に潜む作り手の「意識」と「無意識」。
無意識化されたもの長い時間をかけて淘汰され生き残り凝縮され、それが本当に良い建築を作ると。

特に新しい知識が得られるというものではないですが、ギリシャからローマ〜ビザンティンの流れなんかは非常に簡単に書いてて分かりやすい。

個人的に面白かったのは日本の原初的な高床式住宅と竪穴式住宅の発展。どう混じり合い影響しあうか。それにしても日本建築について自分は勉強不足すぎる。

ただ、残念なのは図版にまったく目新しいものがなく大体が建築史図集で見たことあるものだったことと、かなり誤植が多いこと。

場所によっては図版が抜けている所がありました。(住宅の平面図と断面図の説明図がないような)

暇つぶしに読んでみるのもいいかもね。(こういう言い方は非常に失礼ですが)
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