Libero come un gatto

ゆるゆると生き長らえたい、イタリアの猫のように。

2012年06月

ショートショート

facebookに細かいことを書いてばかりいると、こっちがどうしても大ネタになってしまし、書くほうも読むほうも疲れていいことないので、たまには短いのを書きます。

・前田敦子のシングル「君は僕だ」

このタイトルを最初に見て思いました。「はは〜ん、アイドル界の徹底した管理体制に前田が弓を引いたと」

英語にすると「You are I」ですね。

もうこの辺でピンときた人がいるかもしれませんね。

これに「Sam」を付けて、「Sam、You are I」

もうお分かりでしょうか。そう映画「未来世紀ブラジル」の中で主人公のサムが夢の中で侍に追われるシーンのセリフですね。
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「Sam、You are I」と「サムライ」が響きが似てるのでこのシーンで侍が出されたと言われていますね。

未来世紀ブラジルはお役所的な管理体制が過剰なまでに行き過ぎた未来社会を批判的に描いておりますが、前田敦子という現代の日本アイドル界に君臨する女性の自ら置かれた管理体制の中での自由を求める叫びのように聞こえますね。

曲を聞いたことがありませんし、このネタ以上にこの曲に興味がございませのでここで終わりです。


・三匹のこぶた

「三匹のこぶたの中で煉瓦の家が一番丈夫みたいに描かれているのは、西洋の方で地震がないからなんだよね」と上司が言っていたのに「へぇー」と納得。


・渡辺蘭

NHKの「おはよう日本」のお天気コーナー担当の渡辺蘭はピンクのトレンチコート着すぎ!
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春は本当に毎日のように見てたんだけど、私服?衣装とかないんかいな。
「もう、いいから!君はよく頑張った!」って朝の6時半に渋谷のスタジオパークまで行こうかしら。

プロフェッショナル仕事の流儀 手塚貴晴 手塚由比

プロフェッショナル 仕事の流儀 6/4放送
「ふたりが信じれば、大胆になれる 建築家 手塚貴晴・手塚由比」

(ちょー長々と書いたのにあっさりとWWWの虚空に消えていってしまったよいよい。残ったの上の2行。
同じものを書く気力はないので、割りとあっさりめに要点のみに絞ります・・・はぁ。)

見てない人にはわからないかもしれないけどご勘弁。

・茶室付きの家

お茶を淹れる趣味を持つご主人の住宅設計がありました。手塚夫妻の提案は2層ボリュームの外に屋上へと続く階段を巻き付けて、屋上に茶室を乗せるというものでした。
茶室のことをきちんと考えると、あの外階段は庭園の飛び石。茶室に至るまでのアプローチを客人に楽しませる目的がある。この提案の肝となるのは、屋上に上がった瞬間にあるんじゃないかと思います。つまりは「躙口」です。茶室に入る瞬間のあの空間と心の入れ替わりを屋上に上がって眺望が開けた瞬間に再現するのがよいかと。屋上に上がってから茶室までにまたアプローチがあると興醒めではないか?
(番組中はまだまだボリューム検討の段階なので、あれが最終型とは思いませんが、)

・ミクロとマクロ
建築家がどんな社会的責任を負って、どんなプロフェッショナルな職能を持っているか。そして建築というものが素晴らしく、いかに我々の社会の中で大きな役割を担っているか。
これを建築家の出るメディアにおいて一般の人にも分かるように紹介してほしいなと日頃から思っております。

あと、建築家が建築を設計する時のコンセプトとか実現したいと思ったことを、ミクロとマクロの両目線から伝えてほしいなと。「この建築で生活する人々にはこういう空間を体験して欲しいから、全体の構成がこうなっていて、だからこのディテールはこうでなくてはならない」というような建築全体を語るストーリですね。これがあんまりない。

今回の手塚夫妻だと最後の幼稚園ですね。彼らがあそこまで手摺にこだわるのは分かるし、構造と眺望と使いやすさのバランスを取る設計はものすごく設計者として大事な点だと思います。ただ、あの幼稚園の空間構成についてなにも説明がない。手塚夫妻はどういう空間の体験を子供たちにして欲しいのか?その中で、あの手すりの件がどんな位置づけか。それをきちんと説明して欲しかった。

松に問題があったのにあんなに太い柱がどうして可能になったのかな?とか思ったり。


・夫婦の対比
あとは手塚夫妻をやたらと対比したがる構成ですね。
理論派の夫と直感派の妻みたいな。そうゆうのってどうかなって思うんだけどね。なんか事実をデフォルメして誤解されるようなカンジがするんだけど。
「ふたりが信じれば、大胆になれる」って言われてもね。知らんがなとしか。

・断面2次モーメント
手塚さん(旦那)が柱の断面2次モーメントを計算してるのが可愛かった。12分のBH3乗で合ってますよねとか確認してる姿は大変よいです。

まあ、所詮短い番組なので難しいんでしょうが、もうちょっと絞って手塚夫妻に迫って欲しかったな。あれもこれもと紹介するのに時間がかかってひとつひとつの建築について説明が足りなかったのではないでしょうか。
ちょっともったいない。

最後に、個人的に思う手塚建築の印象は一言で言うと
「一番楽しそうな場所にはなかなか辿りつけない。だから建築を体験するのがとても楽しい。」です。

またオープンハウスにおじゃまします。以上。

下らない事を真剣に。それが面白い。

世はスマートフォンですね。

私だって欲しいんですよ。
あまりアプリとかには興味ないのですが、とにかく地図ですね。
それとウロチョロした時に美味しいお店を発見したりするのに使いたいのです。最近はGoogleMAPに日本・イタリアの行きたいお店とかを地図上にプロットして行っているので、これを是非食するチャンスを増やしたい。

「あ、今日あの店の近く通ったのに〜!」みたいなのがしょっちゅうなので。

まあ、それはさておき本題へ。
中高生、特に男子に対する由々しき問題を2つ取り上げます。

携帯電話が普及し始めた10年ほど前から発生し、私が警鐘を鳴らしてきた問題が1つ。
それに加えて、スマートフォンによって近年新たに発生した問題が1つです。

これらが現代の男子中高生の将来に大きな問題となっているのです。

まずは昔からある問題。
「携帯電話の普及により、女の子の自宅へ電話を掛けることが激減した」

私は今28ですが、中高生ぐらいの頃は女の子に連絡する時は自宅へ電話を掛けたものです。
皆様にも思い出があると思いますが、今思い出しても心臓バクバクものですね。

相手が一発で電話に出てくれたら成功!
兄弟姉妹が出たら、恥ずかしいけど、なんとか取り次いでもらう。
母親が出たら、完全に腰引けながら、申し訳なさそうに、取次ぎをお願い。
父親が出たら、即刻切る!

みたいなね。
こんなドキドキリンリンコール体験を今の中高生は一切経験する必要がないのです。
まあ1つハードルがあるとすれば、女の子に直接連絡先を聞くときぐらいでしょうが、それさえクリアすれば後は確実な連絡手段が出来るのですからチョロイもんです。

自宅コールは毎回毎回が実践の場。昨日成功したからといって今日成功すると思うなよ?ってなもんです。
その慢心が、相手の女兄弟を本人と間違えて恥ずかしい会話を始めてしまう、顔から火柱の上がるほど恥辱体験につながるのです。(私の体験ではないぜよ)
さらにメールは気軽に連絡を取ることができますね。

携帯電話の普及により、こういった「恥ずかしい思いをするかもしれないが、覚悟を決めて受話器を上げる!機会が激減した」と言うことが出来ると思います。


そして近年発生したもう1つの問題を取り上げます。
10年前と同じように現在もドキドキリンリンコール体験はほとんどないでしょうから、上の現象は変わっていません。
スマートフォンの普及によってなにが変わるか。

それは「エロいもの」に対する接触方法ですね。思春期の中高生は当然のように女性の裸や性行為などに感心を持ち始めるわけですが、私の世代で言いますと、その情報収集源は「エロ本」と「アダルトビデオ」でした。

それを仲間たちで共有するのです。つまり学校の友だちですね。

なぜそれを共有するのかというと、仲間意識と言うよりはそれ自体が中高生にとって手に入れにくいものだからなんですね。なので誰かがそれを入手するとそれは友達内での話題に上りますし当然のように貸す借りるという話に繋がります。

まずはそれを如何にして手に入れるかという問題。
さらにそれを学校に持ってくるという問題。
この2つの問題を当時はどうにかこうにか解決して事をなしていたのですが、場合によっては自らまたは友人のミスにより先生に見つかったりすることもありました。
また、それを家に無事に借りて帰った場合に如何にしてそれを安全に保管するかという問題。
本はベタにベッドの下か?引き出しか?
ビデオは「木を隠すなら森の中」的な発送でビデオの中に紛れさせるか?タイトルを[国会中継」に変えるか?

様々な問題がありました。
時にはミスもありますがそれを乗り越えて大人になるのです。うちの学校には抜き打ち持ち物検査もありましたし、友達の中にはカバンをパンパンにしてエロ本を持ってくる奴もいました。

そういう問題が今はスマートフォンの中に全て収まっている、またはPC間でのやり取りで済んでしまっているのではないでしょうか?
なにも今の時代に本やビデオorDVDを持ち歩けというわけではないのですが、そういう事に無駄に知恵を絞る機会が減っているのではないかと思うのです。
ものすごく手軽にエロいものに接触できるようになったと言えます。


両者に共通する問題は、リスクを冒してなにかをやり遂げる機会の減少です。これが当時は自然に鍛錬されていた(プラスになるかどうかはともかく)。
メールにしてもネットにしても指先でチョチョイとすれば、目的が達成できる。

いいのか、悪いのかよく分かりませんが、こういう体験をしている世代としていない世代で、生きていく上でのある種の感覚って違ってくるんだろうなあと思ってやまないのです。
上手く言葉に出来ませんけどね。


こんなことをたまたま道端に落ちていたエロ本をみかけたのをきっかけに真面目な顔して丸の内を歩きながら考えたのでした。


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