Libero come un gatto

ゆるゆると生き長らえたい、イタリアの猫のように。

建築の話

プロフェッショナル仕事の流儀 手塚貴晴 手塚由比

プロフェッショナル 仕事の流儀 6/4放送
「ふたりが信じれば、大胆になれる 建築家 手塚貴晴・手塚由比」

(ちょー長々と書いたのにあっさりとWWWの虚空に消えていってしまったよいよい。残ったの上の2行。
同じものを書く気力はないので、割りとあっさりめに要点のみに絞ります・・・はぁ。)

見てない人にはわからないかもしれないけどご勘弁。

・茶室付きの家

お茶を淹れる趣味を持つご主人の住宅設計がありました。手塚夫妻の提案は2層ボリュームの外に屋上へと続く階段を巻き付けて、屋上に茶室を乗せるというものでした。
茶室のことをきちんと考えると、あの外階段は庭園の飛び石。茶室に至るまでのアプローチを客人に楽しませる目的がある。この提案の肝となるのは、屋上に上がった瞬間にあるんじゃないかと思います。つまりは「躙口」です。茶室に入る瞬間のあの空間と心の入れ替わりを屋上に上がって眺望が開けた瞬間に再現するのがよいかと。屋上に上がってから茶室までにまたアプローチがあると興醒めではないか?
(番組中はまだまだボリューム検討の段階なので、あれが最終型とは思いませんが、)

・ミクロとマクロ
建築家がどんな社会的責任を負って、どんなプロフェッショナルな職能を持っているか。そして建築というものが素晴らしく、いかに我々の社会の中で大きな役割を担っているか。
これを建築家の出るメディアにおいて一般の人にも分かるように紹介してほしいなと日頃から思っております。

あと、建築家が建築を設計する時のコンセプトとか実現したいと思ったことを、ミクロとマクロの両目線から伝えてほしいなと。「この建築で生活する人々にはこういう空間を体験して欲しいから、全体の構成がこうなっていて、だからこのディテールはこうでなくてはならない」というような建築全体を語るストーリですね。これがあんまりない。

今回の手塚夫妻だと最後の幼稚園ですね。彼らがあそこまで手摺にこだわるのは分かるし、構造と眺望と使いやすさのバランスを取る設計はものすごく設計者として大事な点だと思います。ただ、あの幼稚園の空間構成についてなにも説明がない。手塚夫妻はどういう空間の体験を子供たちにして欲しいのか?その中で、あの手すりの件がどんな位置づけか。それをきちんと説明して欲しかった。

松に問題があったのにあんなに太い柱がどうして可能になったのかな?とか思ったり。


・夫婦の対比
あとは手塚夫妻をやたらと対比したがる構成ですね。
理論派の夫と直感派の妻みたいな。そうゆうのってどうかなって思うんだけどね。なんか事実をデフォルメして誤解されるようなカンジがするんだけど。
「ふたりが信じれば、大胆になれる」って言われてもね。知らんがなとしか。

・断面2次モーメント
手塚さん(旦那)が柱の断面2次モーメントを計算してるのが可愛かった。12分のBH3乗で合ってますよねとか確認してる姿は大変よいです。

まあ、所詮短い番組なので難しいんでしょうが、もうちょっと絞って手塚夫妻に迫って欲しかったな。あれもこれもと紹介するのに時間がかかってひとつひとつの建築について説明が足りなかったのではないでしょうか。
ちょっともったいない。

最後に、個人的に思う手塚建築の印象は一言で言うと
「一番楽しそうな場所にはなかなか辿りつけない。だから建築を体験するのがとても楽しい。」です。

またオープンハウスにおじゃまします。以上。

東京駅復元について

復元工事を進めている東京駅駅舎の外観が公開されました。

多くのメディアでそのことを取り上げています。

東京の、日本の顔として、67年前の勇壮な姿を取り戻したと報道され、昔の東京駅を知っている人にインタビューなどもして懐かしいエピソードなどが流されています。

それはあくまでも都市のアイコンとしての評価であって、果たして文化財の復元としてはどうなのか?(東京駅は重要文化財です)我々一般人はどこでその正当な評価を知ることができるのか。いや、知りたいと思う人はいるのか。
そんなことをほつほつと考えていると、
改めて文化財の修理や復元にかけるエネルギーってなんなんだろうかと思ってしまう。

税金から10億以上出して5年かけてある住宅の文化財を解体・復元する。
一流の職人さんたちが持てる技術と知恵を結集して昔の職人さん達に習い、敬意を表し、それを超えんと成し遂げる仕事。

時間もお金も手間もものすごいエネルギーよね。どんな建設現場より濃度が高い気がする。
法隆寺が1300年建っているなら、それをこれから1300年守る義務がある。
いつまで持てばいいとか、何年耐用なんて発想がない。(もちろんメンテナンスは必要)

そんなエネルギーをかけていることが財源不足の矢面に立たされた時、どんな議論が展開されるのか。

蓮舫さんの「1位じゃなきゃダメなんですか?」ではないけれども、「全く同じじゃないとダメなんですか?」
って意見は当然出てくるんじゃないか。

科学技術の世界では1位を目指してもそれが達成出来なかったり、すぐに抜き返されたりするんだろう。スパコンの性能なんて次々と順位が入れ替わる。
それはみんなが1位を目指すからそんなことが起こる。2位でいいって思ったらそこで進歩は止まるんじゃないか。

文化財を残すのにどうしてそんなエネルギーが必要か。
それは文化財が唯一の本物であり、時間と共に崩壊していく運命にあるから。
一度でも本物を残すことを諦めてしまうと、そこで終わる。

一度失われた本物を二度と取り返すことができないから、その時の情勢や政治的判断、経済状況、個人の裁量で変えることの出来ない重荷を背負っている。科学技術の遅れは時間をかければ取り戻すことが出来たとしても。
京都に行って見るお寺や神社も、神戸に行って見る洋館も、パリに行って見るゴシック教会も、イタリアのローマ遺跡もそうやって守られてきた。

そこに敬意を評しつつ、未来の人々へそれを伝える仕事。
きちんと評価を公表してみんなで考えるべき問題だと思います。

GUARINO・GUARINI

古本屋のホームページで建築本のリストを見ていたら、GUARINO・GUARINIの本を発見。4000円ぐらいで意外と安かったので購入。
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前々から気になっていたGUARINO・GUARINIという存在。

バロック時代後期の建築家でボッロミーニやベルニーニとほぼ同時代。

知名度では彼らに劣るのだけどもその作品の独創性は彼らに匹敵するものがあると。

まだ彼の作品は見たことはないんですけど、いくつか写真を見たり、話を聞くだけでもかなり興味はそそられていました。

特にトリノのサン・ロレンツォ教会が有名なのですが、なかなかあっちの方は行く機会がありません。
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これが天井のドーム内部です。

8本のアーチで支えられるクーポラはアーチのそれぞれ辺として8角形です。幾何学模様がとても美しい。

どうしてもボッロミーニのサンティーボ教会と比べてしまいます。
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こちらはアーチこそ露出していないですが、円形と三角形の織り成す幾何学模様が美しいだけでなく、求心性と指向性という矛盾する空間構成を作り出すことに成功しています。


ちなみに表紙は「santissima sindone」。サンティシマ・シンドネ教会?読み方が・・・

図版が多く、設計術などもかなり詳細に載っているので楽しめそうです。

うっかり屋さん

学会のプログラム詳細が届きました。
90分のセッションで4組なので私の試練の時間は20分ちょいでしょうか。

発表の準備以外は順調です!

が、プログラムを見て問題に気付きました。
教授の名前が間違えとるではないか!

名字の最後に「a」が付いていますね。知っている人はわかると思いますが、とても日本人の名前には見えない。東南アジアにいそうな感じ。

事務局のミスっぽいですね。

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担当がペネロペならば可愛いから許す。


訂正メールはしておきました・・・

無事出せたけど・・・

論文は無事出せました。

いつもの如く締切り30分前のぎりぎりで滑りこみセーフ。学会開催地との時差を利用した高等テク。

よかったよかった、これでトレントに行けるのは確定だってことで、学会参加費を払ったり(250ユーロ・・・)、航空券とホテルの手配なんぞをしていたのです。


昨日徹夜だったので早く退社して、電車で論文を読み直していたら・・・

まあ誤字脱字ですよね。深夜に書いた英文ですから多少はあるでしょうよ。

でもね。

mason=石工をね

mayor=市長って間違えてるのを見つけたときは電車でブフって吹き出してしましましたよ。


has been operated by ancient mayor とか書いててね。古代の市長って急に西洋史の行政論っぽくなったりしてね。

5回も出てくる訳。完全に勘違いしまくりんぐ。


提出し直しできないと恥 of 末代です。


英語は勘違いがあるから怖いわいな。

締切りまであと2日です。

死ぬほど寝たい

美味しい物食べたい

運動したい

買い物行きたい

ブラブラしたい


でも今は糸巻き石の加工方法が知りたい!分かりかけているのにまだぼんやりしてる。

そんでもって論文引っさげてイタリアとドイツに行きたい!


うぉー、1ヶ月後はトレントかミュンヘンにいるはず!!!


もうちょい頑張らねばねば。

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コンドル先生のお墓参り

昨年東京に引っ越して、しばらくしてからコンドル先生のお墓参りに行ってきました。

ずっと行かなくてはと思っていたのですが、池袋まで自転車で行く機会があったので、ついでに寄ってみました。


コンドル先生は、私が敬愛してやまない明治の建築家です。

その作品もさることながら、建築教育の質の高さ、日本文化への関心・西洋への紹介などは今日の日本の成立にも一役かっていることでしょう。

母国イギリスで日本庭園や服飾に関する本を出版していたことはあまり知られておりません。


明治10年に来日して以来、大正9年に亡くなるまで、母国に帰ったのはたった2回と言われています。

そんなコンドル先生は護国寺に眠っています。
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護国寺と言ってもかなり広いので、どこにあるのか見当もついていなかったのですが、写真で見たお墓を記憶に歩いていると、すぐ見つかりました。これもコンドル先生のお導きですね。

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奥の方に、ひっそりとですが、威厳と格式のあるお墓です。
「工学博士ジョサイア・コンドルの墓」と刻まれており、その下には「その妻コンドル・クメ」と刻まれております。

クメさんが亡くなられた2日後にコンドル先生もお亡くなりになりました。
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やっとお墓参りをすることが出来て一安心です。


日本の建築の状況を良くも悪くも目の当たりにする中で、いつも「コンドル先生は今の日本をどう思われているのだろうか」と考えてしまいます。
三菱一号館の復元を喜んでいるのだろうか?とか。

いつかお仕事で関わりが持てれば嬉しいなあ。
日本で建築に携わるすべての人はコンドル先生の何代目かの弟子だと言えます。なにか困ったことがあれば大師匠に相談に行きましょう。
東京大学にもいらっしゃいます。
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赤坂離宮が国宝になりました

片山東熊設計の赤坂離宮(迎賓館)がこの度国宝に指定されたそうです。
近代以降の建築としては初めてで、なるほど赤坂離宮かという気もします。

それは明治以降、日本が熱心に取り入れてきた西洋化の象徴としてみなされているからです。

ジョサイア・コンドルが直接指導した工部大学校の学生である、
辰野金吾、曽禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎らが第1世代と呼ばれています。
第1世代の役割は西洋に通用する西洋建築を日本人の手で作る事。

その第1世代の達した西洋建築の頂点ともいえるのがあの赤坂離宮なのです。
トコトンクラシックを貫いたこれでもかってなぐらい真っ当な古典様式。
平面形式も古典的で、左右のウイングを張り出し、正面にはオーダーの列柱、カーブする車寄せ。
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年に1回一般公開しているので見にいきたいのです。
赤坂離宮は明治42年の設計であり、時代的にも建築的にも明治建築の終焉と限界を示しています。
つまり、西洋の古典建築というカテゴリーにおいては日本は彼らに追いついてしまったのです。

この先の建築は西洋でも模索中であり答えがなく、日本は日本独自の道を歩むことを余儀なくされます。

そこで第2世代と言われる人々はより根源的な「建築とは何か」という問題に直面します。
時代は大正です。大正デモクラシーが叫ばれる政治的混乱の中、建築も変化してゆきます。
第2世代に入るのが挙げればキリがないですが、武田五一、岡田信一郎、下田菊太郎、後藤慶二、伊東忠太、山田守らが入るでしょうか?

なにかと話題の中村鎮も丁度このあたりの世代ですね。彼も独自の建築を模索していたようですから。
堀口捨己も入れていいんでしょうかね。分離派は重要なエポックですので。

彼らに共通なのは西洋的でない新しい建築のスタイルを見出そうとしていた事。
まさに近代建築ですね。とはいえ、100年前から同じ問題に直面している西洋からの影響は避けられないので、アール・ヌーボーや表現主義やらは日本的に咀嚼され、吸収されていきます。
個人的にはこの時代が建築史として一番好きです。

下田はクラシック路線に乗りながらもアメリカから持ち帰った最新のコンクリート技術や合理的な思想を取り入れようとしたし、後藤は建築は外的要因からではなく自分自身の「内より生ずる」ものとして捉えようとした、伊東は建築の源流にまで遡り、日本建築と西洋建築を結び付けた。
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下田が設計した現存する唯一の建築 香港上海銀行長崎支店

ここら辺は当然第1世代の人間からすれば奇妙なものに映ったようですね。
学習成果の到達点としての赤坂離宮と、第1世代と第2世代を分かつものとしての赤坂離宮。
国宝に指定されたのは妥当だと思います。

ちなみに国宝は重要文化財より上のランクと思っていらっしゃる方が多いようですが、そうではありません。分類上は両者とも重要文化財です。
これを上手く例える方法を昨日思いつきました。

それがキャプテン翼に登場するゴールキーパー若林源三です。
超高校級の実力を備え、SGGK(スーパーグレートゴールキーパー)の異名をとるあの彼です。
そんな彼も高校生なんですね。超高校級と言えど。

国宝も超重要文化財級という事で、法律上の括りとしては重要文化財です。
重要文化財の中でも特に優れたものを国宝と呼ぶそうです。

今回重文に指定されたものには、志免町の竪坑櫓があります。
あれも独特の存在感があってかっこいいですね。
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J.C

某バナと土居先生が触れていたので、私も。

卒論とフットサルユニフォームの名前を捧げた私としてはジョサイア・コンドルについて沈黙を守ることは許されんだろう。

三菱一号館の復元が完成したそうです。
新建築でちょろっと見ただけで、実際見に行けるのはいつのことやらですが、色々と考えるところがあります。


まずは素直に嬉しいと思います。
ジョサイア・コンドルに注目?が集まる事。
彼の作品を実物として見る事が出来る事。
建築の「歴史」というものに(理由はどうあれ)価値が見いだされている事。

ですが、手放しで喜べない側面もあります。
これは土居先生のブログで読んだのですが、三菱一号館という文化的な側面を盾に、その裏で超高層ビルという経済的な開発を推し進めるというやり方です。

それが悪いとは思わないけれども、なんか巧妙というか、老獪というか。

また、それが三菱一号館という誰にとっても分かりやすい明治建築であるから余計にそう思います。ウォートルスの建築だったら渋いのに。

東京駅も復原工事が進んでいます。
現在は2階建てですが、これを3階建てに復原し、当時のドームも再建。
もちろんこれだけで済むはずがなく、ホテルやらなんやらが駅の中に入る予定です。オリジナルの基礎は撤去され、150台もの免振装置が埋められます。

東京中央郵便局は文化的な担保としてすら扱われずに取り壊されそうになりました。なんとか鳩山さんの言葉で止まりましたが、郵政の人たちの考えは今でも変わっていないでしょう。

丸の内ではこのように、三菱一号館、東京駅、東京中央郵便局がなにかしら現代社会に巻き込まれ、様々な局面を迎えています。

かつて取り壊されたものが復原されるケース、オリジナルの形に復元するケース、そしてこれまで保存されてきたものを取り壊そうとしたケース。

結局、経済社会にとって歴史ってなんだろうと思う訳です。
その場その場の文化的建前で利用される便利なツールなのか。
本当にその場に力をもたらす、経済を凌駕する存在なのか。

東京中央郵便局がもし三菱一号館のような誰の目にも明らかな古典建築だったとしたら、あんな扱いは受けなかっただろうと思うと、ますます分からなくなります。
現代人の目から見て、目新しく見えるものがたまたま古ければ歴史性という衣装を着せられ、真に歴史的なものであっても目新しさがなければその歴史性は無視されるのか。

うーむ・・・・考えがまとまらない・・・

鉄骨を納めよう!

今は橋の図面書いてます。


福岡の重要文化財の鉄骨橋。


鉄骨の納まりが分かりません。


いや、自分が木造やRCの納まりを理解しているとは思いませんが、

こんなに鉄骨の事を分かってなかったのかと愕然。


70年以上前の橋やから、もちろん現在の鉄骨とは別物なんだけど・・・。


それでもよく分からん。


そもそもH型鋼やI型鋼なんてないから、山型鋼と溝型鋼でなんとかする。


溝型鋼を向かい合わせて、鉄板のブレースみたいな斜め材で編むようにして断面2次モーメントを高める。

なんとか手に入るもんでなるべく剛性のある四角い断面を作ろうとした努力はよく分かります。


でもその分、部材が増えて隅部の納まりが複雑に。


なかなか手本がないから、考えて想像してなんとかするしかないってとこが難しい。

まあ、またそこが面白かったりするんだけども。


建築でもなんでも、作った人のアイデアや努力を自分がトレース出来るってのはなかなかいいもんだ。


後輩君たちもそこら辺を分かってもらえると、図面作業も辛いだけじゃないんだがねえ。

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