一昨年に「孫の力(まごのちから)」という雑誌が創刊されました。
孫という血縁関係を表す言葉をある種ブランドやアイドルのように意味を差し替えて、孫に関するあらゆる事項を特集するこの雑誌は非常にセンセーショナルでした。
私も思わず食いついて賞賛を送りました。(記事はこちら)
そもそもどういうコンセプトの雑誌であるかは雑誌自身の言葉を借りて見ましょう。
声に出して読むことをオススメします。
「孫となかよく暮らすための
しあわせ情報マガジン
孫はあなたと日本の未来です。
孫はあなたの未来です。孫は目の前で遊び、笑い、呼吸する、「今を生きる未来」そのものです。そして祖父母は孫を無条件に、何の留保もなく、心の底から愛することができます。それは自身と家族の未来、ひいては日本と世界の未来を、何の留保もなく慈しむのと同義です。
孫ではない何かを通じて、そういうことはできるでしょうか。「できる」という人もたくさんおられると思います。でも「そういえば、できないな」という人もまた、たくさんおられるはずです。
孫を通じて、すべての未来を慈しもう。雑誌『孫の力』は、この心意気でスタートしました。原案・監修はベストセラー新書『孫の力』の著者であるサル学者の島泰三氏。孫の成長を6年間にわたって観察・記録する試みを通じて、大きく広がった島氏の知と慈愛のフィールドをお借りして、雑誌『孫の力』は読者と一緒に遊ぶ雑誌を目指します。
現役の祖父母も、未来の祖父母も、すべての大人の方々に「カモン、ジョイナス!」。」
「カモン、ジョイナス!」
スケールが壮大過ぎて、孫ではあるが孫はいない私にはまだ理解できません。
つまりはこういうノリです。
隔月刊の本雑誌も気づけば第13号が発売されています。
先日ジュンク堂でじっくりと立ち読みをこなしてきたので、最近の孫事情をご紹介したいと思います。

私は常日頃から雑誌に目を光らせていますが、やはり何と言っても手に取るきっかけになるのは表紙です。表紙を1分ほどかけて隅から隅までじっくりと眺めます。そこで面白そうだと判断して初めてページを開いて、巻頭の広告から目次まで読み進めるのです。
意外とこの「表紙をじっくり読む」ことは軽視されていて、そこにちりばめられた意図を読み取ることで初めてその雑誌を理解出来ると私は思っています。
で、今号の「孫力」(「まごりき」と勝手に略称を作りました)はどうでしょうか。
一番上に「笑って100歳を迎えるための孫情報マガジン」とありますが、お前が100歳の頃には対象となる孫は少なくとも30歳は軽く超えてるぞってことです。なんなら曾孫がいても不思議じゃない。大丈夫か?
もう一度聞くけど大丈夫か?
そしてタイトルの「孫の力」。非常に堂々としていて良いです。遠くからでも近眼でも大丈夫。
昨今はモデルがタイトルの上に印刷されている雑誌も多く見受けられる中、この心意気は買いたい。
全体の構成は非常にシンプルです。
実際は多岐にわたる特集が組まれているのですが、それらを排除しメインの特集に絞った一点突破型です。
「孫のためのハローワーク」
孫の将来はわしらにかかっちょる!ってな勢いですよ。親は?親はどうなる?っていう我ら孫素人のツッコミなど彼らの耳には届かない。
更に、それは加速すると「親は語れぬ、わしらだけが孫に語れるストーリー」つまりは親に対するアドバンテージとしての「戦争体験特集」に発展します。
8月ということもあってこんな特集が組まれます。
「ねぇ、じぃじ。せんそうってなあに?」特集!
孫に伝えるべきことはなにか。戦争というものを日本の過去を、親には決して語れない実体験に基づく緊迫したリアリティをもって孫に伝える、祖父母世代の切り札的オプション。
この親に対するアドバンテージというのはこの雑誌に重要な概念となっています。表立っては出てきませんが目を通していると無意識的に存在している対抗心というか。
それを私は「制孫権の奪い合い」と呼びます。
戦争時に制空権や制海権という用語が用いられます。特定の空域や海域に対する支配の実効力を表した言葉ですが、孫という領域を巡って両親と祖父母が「制孫権」を奪い合うのです。
実親ではないという圧倒的不利な立場から始まるのが制孫権奪回の常。
これを如何に攻略するか。
単純に書けば祖父母の武器は「時間と金と経験値。そして責任の軽さ。」です。
そういった視点を元にいざページを捲って目次にたどり着きましょう。
そこにはカオスが広がっています。
詳細はこちらを各自ご確認して頂くとして、ここでは私が注目した特集や連載を幾つか取り上げます。
・孫と一緒に蜂蜜を採る 元・新幹線運転士
要は自慢ね。孫が最も興味を引きやすい新幹線の元運転士でありつつ、一緒に蜂蜜も取っちゃうワシ!みたいな。
・グランマグランパ
孫と楽しむジィジとバァバのスタイルブック
じぃじばぁばではなくあえてのグランパ。だからどういうスタイルで孫と接するかと。もはや孫はライフスタイルを彩る一つアイテムとしての解釈されている模様。
・孫に負けないデジタル機器入門
今号ではスマホでしたけど、何故に孫をライバル視しているのか。
あと、基本的にこの雑誌は孫を漠然と捉えすぎて、想定年齢を明確にしていないのが問題。
・祖父母と孫をつなげる 折り紙の力 山口真
いわゆる経験値を武器にした事例ね。孫と折り紙で遊ぶだけなのに別に「繋がる!!これが折り紙の力!!!」とか気張っていうことか?
・なるほどな!孫ワールド
出番あり!獣電戦隊キョウリュウジャー
孫が知りたければ、孫の興味あるものを知るべきっ!つってヒーロー戦隊もの。
涙ぐましい努力といえば聞こえはいいけどあざといよね。こういう受け売りの知識が孫は一番嫌いだと思うぞ。
・10歳からの「仏教心」入門
だからと言ってお前の得意分野で勝負するのもどうかと思うのですよ。10歳からのって宣言している以上、想定孫年齢は10歳以上、もしくはそれに近い年齢。
制孫権の話を先ほどしたけど、それっていつか終わるんですよ。わかりますよね。孫の独立ですよ。自立をしてしまったら制孫権もなにもない。
10歳って結構自立してきていると思うけどな。じぃじと遊んでるより友達とDSやってるほうが楽しいだろ多分。
・祖父母の言葉の力
孫の心に残る名言コレクション
別に孫に聞いたわけではないけど、名言とされているところが最大のツッコミポイント。
名言かどうか判断するのは自分!ここに掲載されている言葉を孫に刻めば、もう名言を吐いたも同然という自己中心的な思想が怖い。
・ここまで変わった!今の子育て・昔の子育て
今号ではチャイルドシートでした。道交法の改正でチャイルドシートは義務化されておりますのでそこのところを時代が変わったのよと解説。こういうのがまともな特集。
・孫に伝えたい日本の伝統行事 お盆
ここにも経験値がものをいう。両親などお盆に関してはまだまだひよっこであろう。お盆に関してはワシに聞け!ってもんで。ただお盆なんて習うというより漠然と自然に理解していくものだと思うけどなあ。得意満面に解説されても困るし、ここでも想定孫年齢が気になる所。
・島九段の孫に教えたい将棋教室
自分の領域にいかに取り入れるか。「もし、孫が将棋に興味をもったらこっちのもんじゃ」っていう下心が感じられる。
・明るい農孫 千葉県山武市・齊藤家の孫
農孫(のうそん)!という言葉。孫を紹介するってほんとよく分からん。我が家のペットを紹介するみたいなノリになってないですか?
そういうメディアに露出することに対するバランス感覚や倫理観ってのは祖父母らにとってもっとも苦手な分野なんじゃないでしょうか。
・孫と聴きたい音楽 鈴木淳史/麻田浩
・孫と読みたい本 土井章史/大杉信雄
・孫と観たいDVD 阿部雄介/大谷和利
・孫と作りたい料理 桜井莞子
ホント孫が好きねえ、あんたたち。
・孫の力オンラインショップ
先ほど覗いてきましたが、両親との経済力の差を存分に見せつける事のできるようなラインナップでございました。
というわけでまとめます。
あくまでもこの雑誌内での「孫」の扱いは、祖父母らの人生をより充実したものにするためのある種のアイテムや娯楽となっています。毎号に渡って教育や就職に関するいかにも孫の将来を考えた特集が組まれていますが、どれも現実的に意味があるものとは到底思えず、それらは祖父母にとっての自己満足や、ある種のパフォーマンスでしかありません。その他、孫とのコミニュケーションを図るにあたって多くの方法が紹介されていますが、祖父母世代にとって馴染みの多いジャンルを扱った上でそれを「孫と〜したい!」というスタンスで、孫目線に合わせて、本当にコミニュケーションを取ろうとする姿勢が感じられません。それは上に書いたようにあくまでも孫がご楽でありライフスタイルを彩るアイテムとして無意識に捉えているからです。また、孫の想定年齢が明らかでなく、今号においても乳幼児から小学生高学年辺りを対象としているブレがありました。更に、両親との制孫権をめぐる争いは露骨には書いてありませんが、「両親」という存在を雑誌上から抹消している以上、それは意識的に排除しているとしか思えず、非常に違和感を覚えます。両親も交えてコミニュケーションを取ることが本来理想なのですから制孫権を意識して露骨な排除を実生活で行ってしまうと、孫からの信頼を失うという「じぃじばぁば失格」というレッテルを張られることになります。それを避けたいのであれば、今すぐ孫のところへ行き、両親にその非礼を侘び、あなたという人間性で孫と「人対人」のコミニュケーションを取ってください。孫にとってあなたに時間と金と経験値があることなどなにも関係がない。人として魅力があるかないか。自分にとって必要な人間か否か。それ以上でもそれ以下でもありません。
以上です。お付き合いありがとうございました。
孫という血縁関係を表す言葉をある種ブランドやアイドルのように意味を差し替えて、孫に関するあらゆる事項を特集するこの雑誌は非常にセンセーショナルでした。
私も思わず食いついて賞賛を送りました。(記事はこちら)
そもそもどういうコンセプトの雑誌であるかは雑誌自身の言葉を借りて見ましょう。
声に出して読むことをオススメします。
「孫となかよく暮らすための
しあわせ情報マガジン
孫はあなたと日本の未来です。
孫はあなたの未来です。孫は目の前で遊び、笑い、呼吸する、「今を生きる未来」そのものです。そして祖父母は孫を無条件に、何の留保もなく、心の底から愛することができます。それは自身と家族の未来、ひいては日本と世界の未来を、何の留保もなく慈しむのと同義です。
孫ではない何かを通じて、そういうことはできるでしょうか。「できる」という人もたくさんおられると思います。でも「そういえば、できないな」という人もまた、たくさんおられるはずです。
孫を通じて、すべての未来を慈しもう。雑誌『孫の力』は、この心意気でスタートしました。原案・監修はベストセラー新書『孫の力』の著者であるサル学者の島泰三氏。孫の成長を6年間にわたって観察・記録する試みを通じて、大きく広がった島氏の知と慈愛のフィールドをお借りして、雑誌『孫の力』は読者と一緒に遊ぶ雑誌を目指します。
現役の祖父母も、未来の祖父母も、すべての大人の方々に「カモン、ジョイナス!」。」
「カモン、ジョイナス!」
スケールが壮大過ぎて、孫ではあるが孫はいない私にはまだ理解できません。
つまりはこういうノリです。
隔月刊の本雑誌も気づけば第13号が発売されています。
先日ジュンク堂でじっくりと立ち読みをこなしてきたので、最近の孫事情をご紹介したいと思います。

私は常日頃から雑誌に目を光らせていますが、やはり何と言っても手に取るきっかけになるのは表紙です。表紙を1分ほどかけて隅から隅までじっくりと眺めます。そこで面白そうだと判断して初めてページを開いて、巻頭の広告から目次まで読み進めるのです。
意外とこの「表紙をじっくり読む」ことは軽視されていて、そこにちりばめられた意図を読み取ることで初めてその雑誌を理解出来ると私は思っています。
で、今号の「孫力」(「まごりき」と勝手に略称を作りました)はどうでしょうか。
一番上に「笑って100歳を迎えるための孫情報マガジン」とありますが、お前が100歳の頃には対象となる孫は少なくとも30歳は軽く超えてるぞってことです。なんなら曾孫がいても不思議じゃない。大丈夫か?
もう一度聞くけど大丈夫か?
そしてタイトルの「孫の力」。非常に堂々としていて良いです。遠くからでも近眼でも大丈夫。
昨今はモデルがタイトルの上に印刷されている雑誌も多く見受けられる中、この心意気は買いたい。
全体の構成は非常にシンプルです。
実際は多岐にわたる特集が組まれているのですが、それらを排除しメインの特集に絞った一点突破型です。
「孫のためのハローワーク」
孫の将来はわしらにかかっちょる!ってな勢いですよ。親は?親はどうなる?っていう我ら孫素人のツッコミなど彼らの耳には届かない。
更に、それは加速すると「親は語れぬ、わしらだけが孫に語れるストーリー」つまりは親に対するアドバンテージとしての「戦争体験特集」に発展します。
8月ということもあってこんな特集が組まれます。
「ねぇ、じぃじ。せんそうってなあに?」特集!
孫に伝えるべきことはなにか。戦争というものを日本の過去を、親には決して語れない実体験に基づく緊迫したリアリティをもって孫に伝える、祖父母世代の切り札的オプション。
この親に対するアドバンテージというのはこの雑誌に重要な概念となっています。表立っては出てきませんが目を通していると無意識的に存在している対抗心というか。
それを私は「制孫権の奪い合い」と呼びます。
戦争時に制空権や制海権という用語が用いられます。特定の空域や海域に対する支配の実効力を表した言葉ですが、孫という領域を巡って両親と祖父母が「制孫権」を奪い合うのです。
実親ではないという圧倒的不利な立場から始まるのが制孫権奪回の常。
これを如何に攻略するか。
単純に書けば祖父母の武器は「時間と金と経験値。そして責任の軽さ。」です。
そういった視点を元にいざページを捲って目次にたどり着きましょう。
そこにはカオスが広がっています。
詳細はこちらを各自ご確認して頂くとして、ここでは私が注目した特集や連載を幾つか取り上げます。
・孫と一緒に蜂蜜を採る 元・新幹線運転士
要は自慢ね。孫が最も興味を引きやすい新幹線の元運転士でありつつ、一緒に蜂蜜も取っちゃうワシ!みたいな。
・グランマグランパ
孫と楽しむジィジとバァバのスタイルブック
じぃじばぁばではなくあえてのグランパ。だからどういうスタイルで孫と接するかと。もはや孫はライフスタイルを彩る一つアイテムとしての解釈されている模様。
・孫に負けないデジタル機器入門
今号ではスマホでしたけど、何故に孫をライバル視しているのか。
あと、基本的にこの雑誌は孫を漠然と捉えすぎて、想定年齢を明確にしていないのが問題。
・祖父母と孫をつなげる 折り紙の力 山口真
いわゆる経験値を武器にした事例ね。孫と折り紙で遊ぶだけなのに別に「繋がる!!これが折り紙の力!!!」とか気張っていうことか?
・なるほどな!孫ワールド
出番あり!獣電戦隊キョウリュウジャー
孫が知りたければ、孫の興味あるものを知るべきっ!つってヒーロー戦隊もの。
涙ぐましい努力といえば聞こえはいいけどあざといよね。こういう受け売りの知識が孫は一番嫌いだと思うぞ。
・10歳からの「仏教心」入門
だからと言ってお前の得意分野で勝負するのもどうかと思うのですよ。10歳からのって宣言している以上、想定孫年齢は10歳以上、もしくはそれに近い年齢。
制孫権の話を先ほどしたけど、それっていつか終わるんですよ。わかりますよね。孫の独立ですよ。自立をしてしまったら制孫権もなにもない。
10歳って結構自立してきていると思うけどな。じぃじと遊んでるより友達とDSやってるほうが楽しいだろ多分。
・祖父母の言葉の力
孫の心に残る名言コレクション
別に孫に聞いたわけではないけど、名言とされているところが最大のツッコミポイント。
名言かどうか判断するのは自分!ここに掲載されている言葉を孫に刻めば、もう名言を吐いたも同然という自己中心的な思想が怖い。
・ここまで変わった!今の子育て・昔の子育て
今号ではチャイルドシートでした。道交法の改正でチャイルドシートは義務化されておりますのでそこのところを時代が変わったのよと解説。こういうのがまともな特集。
・孫に伝えたい日本の伝統行事 お盆
ここにも経験値がものをいう。両親などお盆に関してはまだまだひよっこであろう。お盆に関してはワシに聞け!ってもんで。ただお盆なんて習うというより漠然と自然に理解していくものだと思うけどなあ。得意満面に解説されても困るし、ここでも想定孫年齢が気になる所。
・島九段の孫に教えたい将棋教室
自分の領域にいかに取り入れるか。「もし、孫が将棋に興味をもったらこっちのもんじゃ」っていう下心が感じられる。
・明るい農孫 千葉県山武市・齊藤家の孫
農孫(のうそん)!という言葉。孫を紹介するってほんとよく分からん。我が家のペットを紹介するみたいなノリになってないですか?
そういうメディアに露出することに対するバランス感覚や倫理観ってのは祖父母らにとってもっとも苦手な分野なんじゃないでしょうか。
・孫と聴きたい音楽 鈴木淳史/麻田浩
・孫と読みたい本 土井章史/大杉信雄
・孫と観たいDVD 阿部雄介/大谷和利
・孫と作りたい料理 桜井莞子
ホント孫が好きねえ、あんたたち。
・孫の力オンラインショップ
先ほど覗いてきましたが、両親との経済力の差を存分に見せつける事のできるようなラインナップでございました。
というわけでまとめます。
あくまでもこの雑誌内での「孫」の扱いは、祖父母らの人生をより充実したものにするためのある種のアイテムや娯楽となっています。毎号に渡って教育や就職に関するいかにも孫の将来を考えた特集が組まれていますが、どれも現実的に意味があるものとは到底思えず、それらは祖父母にとっての自己満足や、ある種のパフォーマンスでしかありません。その他、孫とのコミニュケーションを図るにあたって多くの方法が紹介されていますが、祖父母世代にとって馴染みの多いジャンルを扱った上でそれを「孫と〜したい!」というスタンスで、孫目線に合わせて、本当にコミニュケーションを取ろうとする姿勢が感じられません。それは上に書いたようにあくまでも孫がご楽でありライフスタイルを彩るアイテムとして無意識に捉えているからです。また、孫の想定年齢が明らかでなく、今号においても乳幼児から小学生高学年辺りを対象としているブレがありました。更に、両親との制孫権をめぐる争いは露骨には書いてありませんが、「両親」という存在を雑誌上から抹消している以上、それは意識的に排除しているとしか思えず、非常に違和感を覚えます。両親も交えてコミニュケーションを取ることが本来理想なのですから制孫権を意識して露骨な排除を実生活で行ってしまうと、孫からの信頼を失うという「じぃじばぁば失格」というレッテルを張られることになります。それを避けたいのであれば、今すぐ孫のところへ行き、両親にその非礼を侘び、あなたという人間性で孫と「人対人」のコミニュケーションを取ってください。孫にとってあなたに時間と金と経験値があることなどなにも関係がない。人として魅力があるかないか。自分にとって必要な人間か否か。それ以上でもそれ以下でもありません。
以上です。お付き合いありがとうございました。